連休ど真ん中。 温かい陽だまりがガラス越しに見える、春の日。そしてここは学校の図書館。 よりにもよってこの俺が学校にいるのは別に酔狂でも勉強熱心でも補習でも ない。この身に降りかかった災難を思い出す。 朝、自然と目が覚める。窓からは桜の花びらがちらほらと見え、日差しが温 か光の束を部屋に投げ込む。さわやかな春の日和とはそんな日のことを言うの だろう、そう思っていた。学校のある日は絶対に飲むことのできない目覚めの コーヒーと優雅な時間を楽しみ、午後までリビングでのんびり過ごす、はずだっ た。 玄関にダンプカーでも突っ込んだのかという音を聞くまでは。 のんびりとすすっていた朝のコーヒーを鼻から噴出し、丸腰のまま玄関へ突っ 走る。今にもドア枠ごと吹っ飛ばされそうなドアノブに手をかけて。 やめときゃよかったのに。 目に映ったのは靴の底。そして 「クマさんワンポイントかっ」 「んなわけあるかー」 それだけは叫べたような気がする。まあ、今更丹沢のそれを見てしまおうと も少年の日々も遠くに捨てられた俺の胸が高鳴ることはありえない。むしろ母 親のパンツを見せられた気分である。母親の遺品整理で一番困ったのが下着整 理であったことは第一級機密だ。 パンツ談義はともかく。 つい数日前と全く同じ殺人蹴りを食らい、学習能力ゼロのゴキブリよろしく 床に叩きつけられる。床最高、再び。 で、確かこんなことを言っていた。 学校に用事があるのつきましては今すぐ荷物をまとめてついて来いお前にも 荷物くらい持たせてやるさもなくば一晩中でも見張ってやる暗い夜道には気を つけろおれはいつもおまえのうしろに ……いけない本を整理された、という弱味はここまで強力なのか。 「で、図書館で本を読んでいるだけのお前をなぜ待つ必要があるんだ」 目の前の物体に軽い抵抗をしてみる。 「そんなこと言わないの、幸一。図書館で二人っきり、文学少女とケダモノの ような男。ね、それだけでこう、競り上がるものを感じるでしょ」 親指をくい、と上げる。何が「ね、」だ。 「現実だと立つものも立たん。というか誰がケダモノだ」 「幸一と私に決まってるでしょ」 人差し指がこちらを向く。 「了解。文学少年とケダモノのような女か。で、なぜ俺がこふっ」 拳が顔のど真ん中を捉える。 「あはは、死亡保険かけてる?ごめんね。幸一には後で用事があるの、それよ りそろそろお昼にしようよ」 俺が地面を転がり、丹沢が積み上げた本を几帳面に机の角に合わせ、右手を 上につく。いつの間にか右腕には銀色のブレスレット。豚に真珠、と言いかけ てあわてて言葉を飲み込む。代わりに 「あれか、もしかして今日は手作りのお弁当を愛しの幸一君のために作ってき てくれたとかそれか。それはフラグが立つといいな、がんぶぁ」 膝蹴りも飛んできた。おかしい。アウトではなかったはずだが。 「あはは、鼻血出しながら言っても笑いなんてとれないって。そろそろ自覚し ようね。自分がダメ人間だってこと」 「丹沢が殴らなければ鼻血は出さんぞ」 「ってわけで罰ゲームは幸一がお昼ご飯を買ってきて」 「断ったら」 「鼻血の線が二本になるだけよ」 「……全力で行ってきます」 頭の中の確定事項を遂行させるためか、出口へと向かう。襟首をつかまれた 俺も当然自動的にその後ろについていくわけだが。 「待ってよ。一緒に行くの」 鞄をつかんだ丹沢がにっこり笑う。鳥肌が立つ。 「……お前が笑うと正直怖いな」 「なんでよっ」 こつん。 「ほらみろ殴った。なんだ用事がないなら買ってくるから待ってろ」 「うん、今日は特別にお金を出すだけで許してあげるから、ついていってあげ る」 逆の配慮をしてくれ。 休日に食堂が開いているわけでもなく、学校近くのコンビニまで二人して歩 く。途中の桜がほんの少しずつつぼみを膨らませ、多分明日にはこの国で一番 遅い桜の開花宣言が出されそうだ。歩き始めて二分、ようやく丹沢が今日学校 まで一緒に来た理由を説明する。曰く、私は調べ物があるから図書館に用事が あって、そのついでに音楽室で幸一の曲を聞きたいから。 最初から素直にそういえば狂喜乱舞しているのだ。まあ、いいところで素直 じゃないのは丹沢らしいといえば丹沢らしい。春の日差しが木の葉を透かし、 地面の鹿の子模様をほんの少し揺らす。 「天気もいいし食事は植物園でも使うか」 二人分の食事を右手に下げ、左下の顔にそう聞いてみる。 「うん、それいい考えね。ほんと、素敵な春の日、って感じで」 「そうだな」 満面の笑みが走り出す。俺の五メートル向こう。空に向かって手を上げて一 回転し、右手を差し出して深々とお辞儀。 「ここから先が春の日の中よ。案内してあげようか」 俺に向けて差し出された手がきれいで見とれてしまう。 「ああ、案内してくれ」 差し出した右手を軽く握ってみる。少ししっとりした細い指が四本。 「これで始まるね。物語が」 一瞬のすがすがしい演技に走り出す。ここ体何もかもの始まりだ。そんな春 の日だった。 |
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