誕生詩 -Prelude-

第12話

 新島だった。
 黒いソックスと濃紺のスカートの間に見える白い脛。律儀に留めた校章入り
ボタン。首元にはほとんどの女子生徒が存在を無視する赤のリボン。制服紹介
のマネキンになれそうなほど端正に整っているともいえるが、無機質でもある。
肩までの髪は顔にかかって表情が読み取れない。
 扉が開いたことに反応したのか、ゆっくりと顔を上げる。
 千島以上に強い目線だった。
 新島の表情に見惚れてしまう。口笛を吹いていたあの顔、授業中に黒板を見
る表情、丹沢を見つけた瞬間の顔。
 二年間無視を決め込んだ新島と話す機会なんていくつもあったはずだ、なの
に。
「昨日は悪かったな、丹沢が」
 言葉に表情を硬くする。沈黙三秒。隅に逃げ込み始めた新島を引っ張り出す。
「とりあえず入れ。せっかく来てくれたんだろ」
 一瞬の躊躇が見える。思い切って新島の腕をつかみ、中に引き込む。音楽室
の中に向かって声をかける。
「坂本先生、新島を」
 返事がない。それ以前に坂本講師の姿が見えない。
 控え室へ逃げあがったな。
 ため息一つ。とりあえず今、音楽室には俺と新島、二人だけ。
「ま、とりあえず座れ」
 新島の背中が「とりあえず指されたからにとりあえず座りました」と雄弁に
語る。それはまさに、鉄壁の殻をかぶるヤドカリの如しであり、身を堅くする
アルマジロの如しである。全ての行動が「とりあえず」で「義務的」で、感情
すら見えてこない。新島は汗をかくことがあるのだろうか。機械でももう少し
マシな動きをする。こんなときだけ、無駄に整った防音設備の音楽室を恨む。
 嫌な沈黙。
 何かを話すべきなのだが話題が出てこない。今日の授業の話なんて俺ができ
ないし、共通の友人以前にお互い友人と呼べる存在が無に等しい。だから
「お前、何か楽器できるの」
 そんな直球以外、どんな会話も成立しそうになかった。
 その直球に新島の無表情が硬く弾き締まる。捕らわれた小動物のあきらめき
った無表情ではなかった。返事はないが、いい手ごたえだ。話を続けることに
した。
「一昨日の曲、いい感じにできたんだ。感想聞かせてくれ」
「ほんとに、どんな感じか見たいから、だから」
 ものすごい食いつきだった。どこまでも義務感に食い尽くされ、受身で無感
情を貫いてきた新島が始めてみせる積極性だった。
「ああ、存分に聞いてくれ」
 不器用な言葉が舌足らずに紡がれ、強い目線を電子オルガンに向ける。俺の
後ろにぴったりひっつき、片時ですら指先から目を離そうとしない。電子オル
ガンの蓋に映った新島の目が千島を思い起こさせる。その強い顔に気分も昂ぶ
る。新島の息遣いと体温が伝わり、背中に熱いものを感じる。呼吸を整え、目
を一度閉じる。全ての構成を思い出し、指使いを反芻する。電源をON。足元の
ベースをエレキベースに。左手をストリングス、右手をピアノ。テンポ132でメ
トロを打たせる。
 一気に入った。昨日の曲を演奏する。まずはやさしく八小節、右手のみの演
奏。ついで十二小節、両手で演奏。そして一気に疾走感溢れる主旋律。右手を
ピアノからフルートに変更、ドラムループを打ち出させ、左足でベースを踏み
込む。左手の伴奏を流し込む。右足でダンパーペダルを踏み、左手にのみ長音
効果をつける。若干の乱れは適当にごまかす。背後に張り付く新島なんて考え
ている暇すらない。汗が噴出していた。
 三分経過。右手をはずし、ドラムループを変更。左手とベースのみの32小節
を弾く。右手が復活する。そしてラストまで突っ走り。そこまで真剣に演奏し
たのは久しぶりで、息が切れた。呼吸を落ち着けてから新島を見る。
 危ない距離に顔があった。ぴったり張り付いた新島の顔が俺の肩に半分乗っ
かっていたらしい。目の合った瞬間、ヤカンに触れたかのように飛びのく。距
離を取って向き直る。
「こんな感じだ。いい感じに仕上がっただろ」
 自分でも震えが来る。
 それほどの出来だった。最高だった。この音楽だけでどんなことだってでき
そうな気がした。
 どうだ、といわんばかりに新島を見る。
「もう一度」
 どうだ、といわんばかりにこちらを向く。
「は」
 耳を疑った。
「もう一度、弾いてほしい。次はドラムを切ってほしい、だから」
 笑っていた。新島がごく微妙に口元を上に上げていた。新島の言葉に応えよ
う。電子オルガンへ向き直りもう一度右手を添える。前奏を終え、両手と両足
に気合いを入れた。激しいリズムへと打ち出す、その瞬間。
 信じられない音がした。それは、鳴らしてもいないはずのドラムの音。
「嘘だろ、新島」
 呼吸すら止まりそうだった。力強く踏み込まれるバスが完璧なリズムを刻む。
振り向きたい衝動に駆られるが無理だ。絶対にミスを犯してしまう。考える暇
なんてない。キーボードを殴りつける。左足を丁寧に踏み込み、右足で音量と
長音効果に専念する。新島が四肢を独立させて動かすのなら、俺だって四肢を
全て酷使する。弾くなんてもんじゃない。もはや新手の耐久レースだ。
 オルガンの上の指の疾走にあわせて、激しく叩かれるドラム。テンポを一切
崩すことすらなく、半端でない技術力が音楽室に溢れる。
「次、最後は繰り返しだからなっ」
 一瞬空いた手で宙にロールを描く。
「了解」
 爽快だった。
 それは俺の最高の演奏だった。
 たった二人で、初めて合わせる二人で紡いだ最高の演奏だった。新島のドラ
ムが終わり、アルペジオで和音を南湖か繰り返した後、演奏終了。背後に顔を
回す。スティックを握って、呆然とした顔をする新島がいた。
 俺に向かい、その二年と少し崩したこともない無表情からかろうじて分かる
ほどの笑顔を向ける。
 笑い返し、立ち上がる。
「新島、最高だったな。ありがとう」
「そう、よかっ」
 その笑顔が柔らかくなり、スティックが床を叩き、一瞬空を掴んだように見
えた新島が
「なっ、新島、どうした」
 駆け寄ると同時に、力の全てを失ったかのように俺の腕に倒れこむ。
「……重っ」
 女の子が軽いなんてのは絶対に嘘だと思う。平均的な体格をしている新島で
すら動かせそうな気がしない。
 とりあえず衝撃を与えないように床に寝かせ、顔を叩く。
「新島、わかるか」
「……叩い……すから」
 何かをつぶやいた。が、明らかに俺の質問に対する答ではない。気になるが
、確かめるのは後でもいい。とにかく現在の状況を思案する。いきなりの運動で
貧血だろうか。それにしては顔色も良い。
 そうだ。まずは意識の確認。確か太ももをつねるんだっけ。
 よし、そうと決まれば早速スカートの中に手
「うん、とてもいい演そ」
 控え室のドアが開き、そして閉まる。再び
「うん、とてもいい演奏、って橘。音楽室で強制わいせ」
 話がややこしくなりそうなのでとりあえず坂本講師に駆け寄る。
「あのな。ここはボケるところじゃないだろ。新島が倒れたんだ。ドラム叩い
てな」
 勢いで怒鳴りつける。俺の拳にファイティングポーズですら取らず、涼しく
言い返す。
「あ、そうなの。心配は別にしなくても大丈夫。女の子には倒れたいときもあ
るからさ」
 それは生徒が一人倒れている状況で発する先生の言葉ではないと思った。
「……坂本先生。いい加減に」
「怒らなくたって大丈夫よ。心配は分かるけど、よくあることなのよ」
「え、それは」
「あんたはまだ知らなくていいの。いいから、こんなとき男なんて役立たずよ
ほら。さっさと荷物まとめて帰りなさい」
「でも、痙攣してるぞ」
「いいのよ、すぐに収まるから」
 肩を掴まれ押し出される。
 よくあること。
 それは坂本講師が「倒れた生徒の扱いに慣れている」という意味なのか、「新
島が倒れることを知っている」のか、どちらかだろう。
「役立たず、か」
 その言葉をかみ締める。
 音楽室の外に流れる冷たい風に身を任せる。春にはまだ冷たくて、過ごすに
は寒い風の吹くところ。さっきまで新島が立ち尽くしていたところ。こんな場
所でじっとしていたことなんてなかった。立ち止まることなんてなかった。だ
から、立ち止まっている奴に気づくこともなかった。
 でも。
 俺はもう関わりあってしまっている。窓から放り投げられた鞄を手に、駅を
目指した。

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