誕生詩 -Prelude-

第11話

 教師と事を構えようが千島に助けられようが時間は流れる。千島に宣言され
た手前、音楽室に向かう。今日はバンドの活動日、なのである。
 バンド活動は中学一年生の夏から始めた。きっかけはちょっとしたけんかだ
った。作曲の世界に頭を突っ込みかけていたころ、駅前でギターを下げた奴と
肩がぶつかった。若気の至りで殴り合った。駆けつけた警察に止められ、腫れ
あがったそいつの顔を見て思いっきり笑った。そのアホっぽい笑顔だけで一気
に打ち解けた。それが現ギター兼会計担当の新井との出会いだ。最初のうちは
聞いていられないような雑音を鳴らした。お互い気に入らないことがあると喧
嘩を繰り返した。勝率は半々。ギターで殴られ、キーボードを投げ返し、水没
させて壊したこともあった。人に逆らえばいいものができると思っていた。
 冷やかしと冷たい目線の中、二人で楽器を鳴らしていた時。突然透き通るよ
うな声が聞こえた。橋の上を見る。
 手を振り返す同じ年の頃の女がいた。
 やめておけばいいのに新井がそいつをからかった。瞬間、新井に余計な行動
を慎ませることは神の領域だと既に悟っていた俺は笑顔で避難する。河川敷に
降りてきたそいつを北の大地の少し早い秋の空に新井を蹴り上げたのはそれか
ら二秒後。見た目も育ちもよさそうなギター兼ボーカル担当の松岡との出会い
はもっと派手だった。
 メンバーが三人になり、殴り合いの喧嘩も減り、本格的に活動し始めた。俺
が一人でキーボードにベースに作曲を担当し、なんとなく担当の多さから俺が
リーダーになり。そんな中、初めて公演の機会が巡り。
 俺、いいこと考えついた。
 突然新井が叫んだ中学二年生の夏休み、八月二十日。夏休みの宿題なんてく
そ喰らえと偉そうなことを言える最後の日のことだった。
 夕暮れの空に一番星が輝く。北の空、夏の最後の流れる空を指して、こう言っ
た。
 俺たち頼りなげだから、あのやばそうな星の名前をバンドの名前にしようぜ。
 指の向こうには消え入りそうな星が光っていた。その夜、適当に調べて多分
これだろうと名づけた名前。ぎょしゃ座α。
 Capella
 そう言うと格好いいが、この上なく適当な名づけだった。
「橘。ど派手な喧嘩をしてきたみたいね。もう話が届いてるよ」
 坂本講師が定位置でにやつく。冗談じゃない。ど派手にやらかした後片付け
を千島さんに任せてきてしまったのだ。
「俺、最低ですね」
 キーボードを用意し、ため息をつく。
「は、橘が最低なのが入学してからずっとじゃない」
 そのとおりだろう。望んで入ったわけでもない学校だ。最初から授業を受け
る気もなく、他人の足を引っ張り、同じレベルの落ちこぼれとつるんで迷惑を
かけ続け。揚句の果てには千島に情けないほどの肩をもたれ、迷惑をかけ。
「その上昨日の曲は新島が一気に作り上げるし」
 唯一勝負できると思っていた作曲ですらとんでもない伏兵にやられ。キーボー
ドから顔を上げると珍しく目線が合う。
「ん、やっぱり新島ね。そうだと思った」
 その言葉に強い違和感を覚える。やっぱり、という言葉。
「新島が音楽できるって知っているんですか」
 ということになるだろう。ため息に不満満載の目線が俺を見る。
「……どうかしました」
「どうかもこうかも、橘はキングオブ鈍感ね。ダメ人間コンテストに加えて世
界鈍感コンテストで優勝できるんじゃない。やった。二冠達成、おめでとう」
「そりゃどうも」
 なんだそりゃ。立ち上がった坂本講師が目の前に迫る。心底人を哀れむよう
な目線を送る。
「橘、特別授業してあげる。まずは新島の成績はあんたよりも悪い。ここまで
はいいね」
「いいも何も」
 知っている以前の問題だ。テスト中にペンを持つことすら拒否する新島だ。
千島のせいで学年一位をとることができないのと同じように、新島のおかげで
学年どんケツを免れられる。なぜあれで進級できるのか聞きたいくらいだ。
「でも新島の音楽の成績は橘の次。学年二番目。これは知らないでしょ」
 詰め寄った坂本講師がキーボードに手をつく。頭に文字が浮かばない。知る
はずがない。音楽の時間、自分で持ち込んだキーボードにイヤホンを差し込ん
で演奏している俺は周囲のことなんて何も知らない。
「新島は橘の弾く曲の楽譜を起こしているの。授業時間中にね」
 止まった呼吸でかろうじて声帯を震わせる。
「俺の、曲を。どうやって」
 言われている意味が理解できないほどに混乱する。普段の授業中に何の動き
も見せない、音楽と無縁なようにしか見えなかった新島が。
「イヤホンから出る微妙な音と指使いを頼りにしているんだと思うけど。私に
分かるわけないでしょ。はっきり言ってあの子は天才よ」
 はっきり言われるまでもない。
 楽譜を一回見れば演奏できる奴なんていくらでもいる。だが、一度聞いた曲
を楽譜化できるやつなんてそうそういない。
 しかもイヤホンから漏れる音、である。
 神業だ。俺が何を弾いているのか、どのパートを弾いているのか、テンポと
リズムはどれくらいか、楽器はどれか何も知らされずあらゆる情報が欠けたま
まわずかな音を頼りに楽譜を作る。情報をキーボードのLEDから読み取り理解し
記憶する。事実ならば「新島は音楽が好きで、能力がある」なんてものじゃな
い。作曲能力、坂本講師の話、そして新島が定期公演に来たという吉岡の言葉。
これまで何も知らなかった、見ようともしなかった新島にあらゆる角度から光
が当たる。
 新島はいったい何者なのか。
 二年間全く気にかけなかったそれを意識に浮かべようとするが、それはひっ
くり返ったトランプの絵柄を言い当てるような無駄な努力だ。
「ところで橘、噂の新島が扉の向こうに立っているんだけど。見てきたら」
 坂本講師に遮られる。反射的にキーボードを離れ、立ち上がって扉へ向う。
新島の輪郭を頭の中に思い描き、そして。
 音楽室の扉を開けた。外の空気がふっと入り込み、かざりっけのない、ほの
かなにおいを感じ取る。

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