朝の教室。一緒に登校してきた丹沢は朝っぱらから友人たちと延々と話を続 け、俺は眠気と奮闘しながら楽譜に向き直る。 「なあ、橘、ちょっと相談」 突然耳に飛び込んできた言葉に顔を上げる。なんとも言いがたい物体が目の 前に存在していた。ややこしいのでとりあえず謎の物体、ということにしてお く。妙に馴れ馴れしいのでとりあえずその宇宙人吉岡の頭らしいところを殴っ てみる。手が痛い。 「ってことは夢じゃないのか。この世は理不尽でいっぱいだ」 「何朝から人殴ってんだよ橘」 うるさかったので一発殴る。やっぱり手が痛い。どうやら夢でなければ幻覚 らしい。 「幻覚でもないらしい」 「幻覚を疑うなら自分を殴れよ橘」 そんな痛いことをするはずがない。 「うるさい、消滅しろ幻覚」 とりあえずもう一度殴ってみた。やっぱり手が痛い。 「分かってやってるだろ橘」 あまりにも幻覚がしつこいので話を合わせてやることにした。 「分かってるって。おはよう吉岡。それじゃ朝のコーヒー運んで来い家畜」 「……あとで持ってきてやるよ。で、ちょっと相談」 相談である。この時点でまともな話題を期待するのは病気である。 「僕って橘以外に友達が少なくてさ」 いや、俺すらも友達でなかったりしてな。 「熱でもあるのか、どれ、殴って測ってみよう」 構える。 「熱は拳で測れません」 「じゃあキックで」 「踵でも測れませんからねっ」 軽い冗談を交わしておく。 「で、何の用事なんだ」 「あのね、僕高三にもなって友人不足に気づいて」 こいつの場合、友人とは金を借りる存在だろう。だがそれ以前に 「わかった、いい動物病院紹介してやる」 患畜となりはてた旧友をあわれむ。 「黙って相談に乗れよ、橘」 朝っぱら泡を飛ばす吉岡の言葉に微妙な聞き耳が周囲に立ち始める。哀れな 目線が哀愁を誘う。仕方ない。俺だけでもこいつの味方を演じなければ明るい 未来が閉ざされる。 「よし、友達作るんだったな。それならまずベルトを取れ」 ズボンの中には未来があり、パンツの中で歴史が踊る。 「オッケー、こうだな」 ちょっとはためらえ。 「そうだ、次は教卓に登って後ろを向け。ていうかズボンを脱げ」 「……ほんとうにそれでいいのかよ」 「いいから言うとおりにしろ変態」 教卓で下半身を出して後ろを向く。変態の部類の中でも最下層ランクだ。教 室になんともいえないどよめきが走る。教室に入ろうとした生徒が叫び声を上 げて逃げていく。廊下の窓に観衆が集まる。 「最後だ。ケツ突き出して目を閉じろ」 嬉々としてパンツ一枚のケツを教卓の上で曝す。異常だ。気が狂っている。 とどめをささないといけない。 「丹沢。ほうき貸してくれ」 「はい幸一どうぞっ」 臨戦態勢の丹沢が俺にほうきを投げつける。完璧な連携だ。役者はそろった 。息を大きく吸い込み、ほうきを逆さ向きに構える。目標、無駄に形のいいケ ツの中心。三、二、一。せいっ。 突き刺さった。 それは春のぬるんだ空気が気の早い花を咲かせた日。 それは吉岡がまっとうな人間をやめた瞬間。 「うぎゃぁーやめてやめておしりいたい」 廊下に断末魔が響き渡り、その叫び声が告げる。今ここに、一人の前途多望 な高校生の人生が終了した、と。 十字を切り 「そして彼は歩み始める。新たな世界を」 格好いい独り言だ。 「やめておしりいたい。頭文字を取るとやおいね……」 丹沢、隣で恐ろしいことを言うな。 「さて、吉岡。友達増えただろ。向こうの世界にさ」 床を転げまわる吉岡の背中をさすってやる。 「うぅぅ……」 吠える。見るも無残である。あっちの世界に旅立った吉岡の笑顔が思い出さ れる。 朝のガラス窓に大写しの透明処理吉岡の顔が映った。 「それ、現実ですからっ」 もう復活したらしい。 「まあ落ち着け吉岡。俺だけはお前の友達だぜ」 ナイスフォーロー俺。 「ああ、友達だろって友達だからもうちょっと優しく突けよ」 再び教室が凍りつく。危ないフラグが出来そうなので殴って叩き割る。吉岡 を教室の隅まで吹き飛ばす。 「やおいっていうよりハードゲイの世界ね」 それも違います丹沢。さて、自分の席に戻る。 「……なんの騒ぎだ」 教室のドアが開き、千島が教室に入る。長身に長髪、恐ろしさを増長させる かわいい小物入れ。そしてその目の前にはパンツ一枚の吉岡と、箒を持った俺。 千島の視線が突き刺さる。あの千島が凍りついた。 「そうか、お前丹沢に飽き足らず吉岡まで手にかけたのか……心配するな。い ろんな愛の形態があるのは知っているが、見せつけないでくれ。幾分ショック を受けた」 ……人生に負け犬のはんこが押されたような、そんな気がした。 |
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