「そうそう。丹沢との馴れ初めはわかったけど、橘のよくつるんでいるヘタレ との馴れ初めはどうなのよ」 坂本講師がキーボードに歩み寄ってきた。 「ヘタレ、って吉岡のことですか」 「うん、そう。吉岡、吉岡修身よ。男が男にもてた話、聞かせてよ」 随分な言われようだが、吉岡は確かにヘタレといわれるほどのことはある。 「運動推薦からレギュラー落ち。で、絵に描いたような人生裏街道ですもんね、 あいつも」 吉岡と俺は似ていた。スポーツ推薦で入った吉岡は居場所を失い、付き合い で仕方なく入った俺は学校に不似合いだった。 当然のごとく、補修だって最初からひっかかった。 逃げ出してやる、そう思った。 思いついたのが補習で顔を合わせる吉岡だ。脱走はチームワークという定番 に従い、脱走話を持ちかけ、三秒で意気投合。昼休み開始直後、二人でトイレ にこもった。俺たちの名前を呼ぶ校内放送など完全に無視。狭いトイレに二人 で隠れるなんてどうかしているのだけれど、それでも楽しかった。 時間は過ぎ、昼からの授業が始まった。 で。 ようやく脱走計画の最大の失策に気づく。 今更授業に戻れないのだ。一旦逃げてしまえば逃げ続けなければならない。 この世の法則である。 どうするべきか。 「橘。とりあえずバスケして時間つぶそうぜ」 運動なら負けない自信があった。体育館は授業で使われていたから講堂に忍 び込み、倉庫からかっぱらってきたボールを勢いよく床に打ちつける。 一対一。ゴールを決めれば勝ち。それだけのルールだった。絶対に勝てる、 そう思った。 だが。 開始二秒で瞬間に吉岡にボールを奪われ、気がつけばゴールの中を大きなボ ールが回っていた。 目を疑った。 「橘。動きが遅いぜ」 その言葉に、何かのスイッチが入った。 本気でやった。反則もクソもない。全力で行った。だが、面白いように遊ば れて、次々とゴールを奪われる。 「初めてなんだろ。それにしちゃなかなかいい動きだったぞ。橘」 爽やか過ぎる笑顔が向いていた。 こんなやつに、絶対負けてやるか。そう思った瞬間だった。そう、勝てばい いならいくらだって方法がある。例えば 「吉岡。次は放送室だ」 場所を変える、なんてのが定石である。 そして二人で講堂の三階、放送室へと足を運んだ。 胸ポケットから取り出した記憶装置を音響装置のライン入力につなげる。 こいつを唖然とさせるような曲を聞かせれば俺の勝ち、そう思った。 だから、自作の曲を講堂に響かせてやりたかった。 音響機器の使い方なんて分からなかったから、目の前にあるスイッチをとり あえず目に付くままにONにして再生ボタン。 音量は最大、それは四時間目が四十分経過した瞬間。 全校に響き渡った。 「橘。これ、どこで買えるんだ」 予想を上回る反応を見せてくれる吉岡の前で、俺は全校に響き渡っているこ となんかに気がつかなかった。 そうして、放送室で音楽を聴いていた。それは戦いあった二人がお互いを認 めている 暇なんてなかった。 「こらぁーどこのアホだ。出てこいやーーー。放送を止めろーーー」 大音量を吹き飛ばすような声が聞こえた。 血相を変えた教師が講堂に駆け込んできたのだ。 「……橘、おい」 「ああ、そうだな。ここは」 視線を合わせた。考えていることはお互い一つ。 開き直り、である。 「吉岡。背中はお前に任せた」 「よし、橘。お前はマイクで正当性を主張しまくれ」 吉岡が扉に鍵を閉め、つっかえ棒を施して講堂の照明を消す。 俺だって負けていられない。音楽を流し外国帰りのDJばりに叫ぶ。嵐のよう な三十分と扉を殴りつける教師たちと、それを身体で止める吉岡。 どんな時間よりも楽しくて、何もかも忘れられる瞬間だった。放送室の窓の 外に見える教師に、クラスのやつらに、丹沢に笑顔を振りまき、リクエストす ら受け付けた。 三十分の奮闘は体育館の電源をヒューズごと落とされ、体育教師のタックル で扉が開いたことで終結した。 祭、修了。 生徒指導室で箱詰め出荷され反省文原稿用紙五枚に毎朝八時登校、校内美化 一ヶ月。そんなもんで済んだのは奇跡だろう。 「と、いうわけですよ、先生」 「……それで、私とも縁ができた、と。なんて行き当たりばったりなのよ。頭 痛がしてきたわ」 そう、反省中のサル二匹の前に現れたのが坂本講師だった、というわけであ る。 音楽に興味あるなら迷惑にならない音楽室を使いなさい。 それが坂本講師の第一声だったと思う。 それから二年。バンドは順調、毎月末にライブハウスで演奏を続け数十人の 常連客とCD三枚を出すほどになった。実質活動四年目にしては悪くない成績だ。 放課後の音楽室をバンドと自分の練習の場として使い、適当にキーボードを触 り、思いついた旋律を五線譜に書き取り、そんな時間を過ごす。 「坂本先生。ちょっと新曲のイントロ、聴いてもらえますか。出だしはいいの に続きが思い浮かばなくて」 作曲すると同じ旋律ばかりを繰り返し、ちっとも次に進めなくなってしまう ことがある。スランプ、というほど長続きするわけでもないのだが、もどかし い。そもそも、このメロディーラインのせいで昨日夜更かししたわけだ。 「いいよ、弾いてみて」 その言葉に従い、キーボードを叩く。 …… ………… ……………… 「うーん、ありきたりだけど例えばこんな風に続ける、とか」 弾き終わった直後、坂本講師が身を割り込ませる。細い、骨の浮き出た指が キーボードの上を滑る。十二小節ほどの旋律がストリングスで流れ出す。盛り 上がろうとするところを優しく押さえるようなメロディー。坂本講師の特徴だ。 「なるほどね。坂本先生らしいですね。こう、一番の思いはとっておく、みた いな感じが」 作曲は人を映す鏡だという。だとしたら。 「……橘ね。あんた人から鈍感って言われるでしょ」 思いっきりその通りである。 ……鈍感。母に言われ、同居人に言われ、丹沢に月三回のペースで言われる 言葉である。 「はい、よく言われますが。何か問題でも」 「……重症ね。さっさと今の、五線紙に書いておきなさいよ」 つまらなさそうにキーボードから身を離し、定位置に戻り外を眺める。坂本 講師の演奏した旋律を五線紙に書き込み、キーボードで繰り返してみる。 と。 「橘、いるか。帰るぞ」 扉が勢いよく開く。 「……吉岡、日が暮れると元気になるな。授業なんて全部寝てたくせによ」 吉岡だ。レギュラー落ちしたとはいえ、クラブ活動に出ているのだろう。学 校の鞄はどこへやら、スポーツバックが肩に掛かっている。 「そりゃそうでしょ。昼寝てたんだからさ。夜はこれからだよ。夜だよ夜。言 葉だけで楽しくなる夜だよ」 頭のおかしな人は何を言うか分からない。 「ちなみに橘もそのヘタレと同じレベルのアホなんだけどね。成績は」 「うわ。今日から一人で過ごせ、吉岡。お前との縁は今切れた」 「寂しいこと言うなよ。一緒に一人を楽しむんだろ」 笑顔のまま肩を叩かれる。 「一緒だと二人だろ、このアホちん。まあ、時間も時間だし帰るか」 ちなみに吉岡は「一人最高同盟」なる謎の同盟を主催しているらしく、俺は その名誉会員第一号、らしい。活動内容は「一人であることの最高さを自慢し あう」ということになっている。あまりの馬鹿らしさ加減についつい入会して しまった。 「え、本当に帰るの。どっか寄って」 「いや、今日は本気でパス。明日遅刻したら丹沢に絞め殺されるからな」 「……だね、今度こそ男をやめさせられそうだし」 二人でため息。 「女になったら更衣室の使いから教えてあげようか、橘」 追い討ちがかかる。 「全力で結構です、先生。では今日は帰りますので」 「先生、俺にも女子更衣室の使い方を教えてください」 「じゃ、早速切り落とそうか、吉岡」 「……やめておきます。帰ります、先生」 俺と同じアホだ。 「はいはいご苦労さま。また明日ね」 軽く手を振って音楽室を出た。 吉岡と一はわずか十五分程度、通学路を歩いて駅で別れた。俺は家に、吉岡 は繁華街に。長い日の入りが薄白色の空に映え、宵の明星の輝く中。一人電車 に乗り、堤防沿いを歩き、広いだけが売りの自宅に戻る。この家に住むのは俺 一人。春先の寒さが一人だけの家にこたえる。 もう何年も前に必要ではなくなったこの広い家がほんの少しだけ寂しく感じ る。一人最高同盟。二年と少しをかけてなじんできた一人は決して最高のもの でも、最低のものでもない。 |
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