秋、果ての岬 -Alone-

最終話

 飛び起きる。
 盛大な音と電気が一緒に走った。
「痛い……」
 壁に頭を打ちつけたのだ。馬鹿なことをやっている場合じゃない。
 手に握られたままの拳銃を見て、現状を思い出す。
 唇が少し苦い。
 眠らされたのか。
 そうだ。
「大尉っ」
 瞬間、部屋に警告灯が点灯した。
 全棟の照明に息が吹き込まれ、全てのロックが開放され、関係先に緊急事態
を知らせる連絡が飛ばされる。
 基地で何かが起こっている。その何かが大尉の姿と重なるのに時間はかから
なかった。
 戦闘服に着替え、部屋を飛び出した。手元の拳銃に力を込める。
 きっと、大尉が戦っているのだ。
 ならば私は
 大尉を止めるのみだ。廊下を駆け抜け、居住棟から兵舎
 廊下に血の欠片が引きずられていた。その隣にうずくまるショルダーバッグ
みたいなものは弾き飛ばされた人体の一部だろうか。至近距離で散弾銃でも浴
びせたようだ。
 考えない。
 見ない。
 小さな叫び声が遠くから聞こえる。気にしている暇はない。
 爆発音がした。遅れて大量のガラス片が落ちてきて、下に集合していた守備
要員を直撃する。悲鳴と肉体が爆発音に潰された。
 演習場に閃光が走る。どこかの隊が別の集団と戦っていた。
 基地全体が、狂気に包まれていた。意図された情報か誤報か、それともお互
いの不信か。もう、歯止めは利かない。
 目の前に飛び出してきた警務隊が死角から頭を撃ちぬかれ、頭を潰され脳が
形だけを留めて廊下に滑った痕跡をつける。
 凄惨な光景に祈る時間はない。すぐ近くに敵がいるのだ。拳銃を構えた。
 死角から現れたのは見知った一般職員だった。片手には銃を所持。
 見間違いであって欲しいと思う暇なんてなかった。そう、目の前のそれは武
器を持ち、私に対峙し、そして私は武器を持っていて
 ならば選択肢なんてない。
 動いているものを見れば引き金を引け。
 その言葉通りに人差し指を引いた。反動で腕に焼け付くような痛みが走る。
 引き金は一度で満足するな。
 その言葉通りにもう一度、人差し指を引く。激痛が肩に走り、廊下に倒れた
それは人間の姿を半分しか留めていなかった。
 激痛に正気を保たされ、逃げるように走る。
 行く手に三人の女性武官。何度か言葉も交わしたことだってある人だ。でも
 今殺しておかないと私が殺される。背中を向けている今がチャンスだ。
 最後に残った弾丸を一人に撃ちこみ、残りの二人が呆然としている隙に落ち
ていた自動小銃を拾う。
 至近距離で二人の顔を狙って引き金を引き続けた。
 襤褸切れのように頭蓋骨が弾け、顔面の皮がはじける。それでも安心できな
くて首を弾丸で千切り、心臓を打ち抜き、内臓を屠る。
 爆音の隙間に足音が聞こえた。
 振り返る。
 その場に座り込んで動けないでいる人がいた。
 私服の女の子。入隊して間もないのだろう。胸元のリボンがかわいらしい。
 絶対に友達になれる、なんて考えている暇はやっぱりなくて、
 手に武器があった、だから撃った。
 叫び声すら聞こえなかった。
 もう、引き金を引くことにためらいも何もなかった。
 生きているものには全部、とどめを刺した。
 助けを求める手が挙がれば引き金を引いた。部屋をこじ開けて、中の人を殺
した。初めて大尉の気持ちの、ほんの上っ面を知ったような気がした。
 人影がすぐ近くにあった。ありったけの力で引き金を引く。
 だが、その人影は倒れずにこちらへ向かってきて
「いや、いやあ」
 手に持っていたものを放り出して、投げつけて、闇雲に掴みかかった。
「待て、俺だ」
「そんなの知らない、死んで、死んでよ、なんで死なないの」
 拳を固めて突進
「葵、橘だ。落ち着け」
「え」
 その言葉に一気に心が冷える。
「あ、わ、私」
 惨状が広がっていた。足元には血の海。十人以上の死体がばらばらに並び、
肉が焼け付き、
 私が自動小銃を持っていて
「い、いや、そんな」
「全員手投げ弾による即死だ。葵がやったんじゃない。気にすんな」
 嘘だ。手投げ弾で負傷した彼らに止めを刺したのは私だ。もう、戻れない。
私一人が純情な真似なんてできない。
「行くぞ、葵。千島さんを止める」
 顔を上げて、橘さんに頷いた。
 もう、戦闘の音が消えていた。平和的終結ではない。ただ、戦えるだけの人
がいなくなったからだ。散発的に聞こえる爆発音は自殺する人たちのものだろ
うか。
 その静寂の中、橘さんと二人で歩いた。基地司令室の前に立った。
「ここが、終点」
「そうだな」
 二人だけだった。中隊の人たちはどこにもいなかった。
「……俺が入る」
 先に入った橘さんに続く。
「あっ」
 それは数々の戦闘を見てきた私ですら胸の悪くなる光景だった。その部屋に
は一発の弾丸も、一振りのナイフも使われていなかった。素手で引き裂かれた
腹部に叩き割られた頭蓋骨。律儀に眼球をえぐり出していた。ねじりきられた
腕と足が叩き潰され、露出した肋骨に血液の筋がついている。
 こんな殺し方は人間のものではない。ということは
「千島さん、いるんだろう」
 橘さんが闇に向かって声を上げた。
「大尉、いらっしゃいますか」
 私も倣う。
「よくわかったな。直感か」
 大尉の声が聞こえる。
「いや、本能だ」
 暗闇の中から聞こえる声には、少し疲労が感じられる。
「何をしたんだ、千島さん」
「仲間を助け、この司令室に乗り込んだ。それだけだ」
 他の戦闘行為は自分の行ったことではない、そう付け加え。
 目が暗闇に慣れた。
「大尉。腕が」
 血に染まった礼装が右肩から切れ落ちていた。
「野上。無事で何よりだ。もう休んでいろ」
 そんなことに構わず、大尉がいつもどおりの笑顔を向ける。
 違う。
 大尉はどんな理由で人を殺しても、笑いかけるなんてことはしない。
「千島さん、もう終わりか」
 もう、その理性は終わりを告げたのだろうか。
「……ああ、終わった。私も少々てこずったな。まさか手負いにされるとは思
わなかった」
 何度目かの警戒警報が鳴った。
 近くの駐屯地から駆けつけた部隊だろう。司令室の窓からは降り立つ姿と、
早速どこかから狙撃される倒れていく名も知らぬ戦闘員たちと、その中に踊り
こんで行く中隊の隊員たちが見える。
「あいつら……やっぱり馬鹿だな」
 数に押され、真っ当な交戦すらできず倒れていく姿が見えた。最初から死ぬ
つもりだ。
 月明かりが司令室に入る。金色の短刀が輝いた。
 覚悟を決めた。私は今、最後の仕事をする。
 軍人として過ごしてきた全てをかけて。
「大尉、ありがとうございます」
 床に落ちていた血まみれの拳銃を拾い上げる。
「野上二曹、これより大尉を」
 ほんとうは助けたい。自分の無力を呪う。
「野上が撃つ必要はない。その役はずっと昔、橘に任せた」
 え。
「高三のときの話だから忘れてたかと思ったぜ」
 橘さんが笑い返す。
「橘。お約束だ。一言言わせろ」
「告白は禁止な、千島さん」
 橘さんが途中で調達した対戦車ライフルを構えた。
「橘。お前は私を導いてくれた」
「逆だろ」
 点検。
「私はお前が大好きだ」
「ああ、俺も千島さんが大好きだ」
 肩に銃底を置き
「次会うことがあったら、普通の姉と弟でありたいな」
「俺、わがままだけどな」
 引き金を指が探る。
「野上を、よろしく頼む」
「今くらい、自分の心配をしろよ、馬鹿」
 私がその指に手を添えた。
「さっさと約束を果たせ」
「……わかった」
 大尉が敬礼を向けた。
 目を開けて、引き金を引いた。大気が白く光り、熱が解き放たれる。
 そして
 閃光が消えて、焼け焦げた匂いがした。
 大尉の下半身が完全に消え去り、上半身が焼けただれていた。それはもう、
何の言葉も発しない、戦死体だった。

 都会の北はずれ。区域全体を警備員が巡回する高級住宅街。その中では中程
度の住居が私の家だ。
 といえばいかにも社会的に成功したみたいだが、実は退役高級軍人用の住宅
だ。
 季節は冬。
 除雪作業から一足先に戻って一息。お茶を入れる。住宅に退職金、と生活に
は当分困らないのだが無職は案外暇だ。春になれば仕事を探してみよう、と思
う。
 あの戦闘については公式には国内に潜んでいた旧敵国兵士が基地を襲撃した
事になっている。それ以外の発言は許されないし、発言するつもりもない。
 ただ、千島大尉(殉職したので最終階級は中佐だけれど)についてはわが国の
危機を救った軍人として大いに取り上げられるようになった。これまで一切秘
匿されてきた経歴が新聞紙上をにぎわせ、士官としての礼装姿の写真が戦史を
扱った本に掲載された。もっとも、共に行動した私たち中隊のことも、魁峰の
ことも一切触れられていない。千島さんの遺品については遺書に書かれていた
とおり、死亡退職金を千島さんの叔父に、現金などの資産を橘さんに、遺品が
私に渡された。というわけであの金柄の短刀の所有者は現在私であり、取材の
問い合わせなんかも受けている。
 もちろん、千島さんが私に託した古いノートもあるけれど、こちらは非公開
だ。どうやらこのノートは千島さんの母親から受け継がれたものであるらしく、
親子二代に渡っての日記帳の様相を呈している。ほんとうなら千島の血を引く
人こそが所有すべきものだ。
 ノートを閉じる。
 と、ドアの開く音が聞こえた。
「うー寒い。葵。お茶」
 雪まみれの人が駆け足でリビングに入ってくる。
「はい、お疲れさまです橘さん」
 成り行きというものは恐ろしいもので、現在私は橘さんと一緒に暮らしてい
るのだ。別に結婚しているわけでも、その予定があるわけでもない。人を失う
ことに悲哀を感じないのと同様、人を愛するなんて気持ちも私には湧かない。
多分私は一生無感情のまま生きていく。あれほど好きだった魁峰のことだって
今では顔すら思い出せない。私だけが生き残ったのは私が一番人間らしくなかっ
たからだろう。
 今、私が思い出せる唯一の過去はあの中隊のことと、隊長だった千島さんの
ことだ。
 普通の生を享受できなかった私たちだ。恨みだって、怒りだってある。
 でも、たった一つの希望が私を平穏な生活にとどめさせる。それは
「ほんとうにいいのか、葵」
 除隊直後にもたらされた情報だ。
 千島さんから摘出された卵巣が保存されている。
 その言葉を橘さんから聞いた瞬間、やりなおせるのかもしれないと思った。
 卵なんてものは所詮遺伝情報だけかもしれないけれど、それでも千島さんの
子供を産みたいと思った。理由なんて後付けだ。そして私が母胎となる以上、
「父」となるのは橘さん以外に考えられなかった。何度もお願いした。近親婚
のリスクだって検査で問題ないと証明してもらった。どうせ産むなら千島さん
の子供も、橘さんの子供も産んでみたかった。
「だから大丈夫だって。もう体調もばっちりだし、それに」
 千島さんのことが大好きだった。
 だからこの冬、ここからはじめようと思う。
「私も、人間らしく生きてみたいから」
 叶わなかったいろんな人の思いを私が受け継ぐ。



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