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寒くなってきた。窓の外が白い。 雪である。 内地から冬季訓練の人がたくさん来る季節だ。我らが中隊の隊員には逸材が 揃っているらしく、あちこちから技術指導の依頼が山ほど来ている。が、当の 本人たちは三十秒ででっち上げた頭の悪い計画書を私の机の上に放り出して現 在演習場で初雪合戦の真っ最中。まったく呑気なもんである。後でいろいろ処 理する身分にもなってほしい。次顔をあわせたら絶対に言ってやろう。 ほんと、平和が一番ですね。 ま、そんな嫌味もさらりといえる今の環境を気に入っていると言えば気に入 っているのだが、私に残された時間はわずか。 除隊が二週間後に迫っているのだ。 時間は午後三時。一息入れようと背伸びする。別に頼まれたわけではないが、 最近の私の日課はこの時間にお茶を淹れることである。今日は居残っている大 尉だけだから、後でみんなが帰ってきたら温かいものでも淹れなおしてあげよ う。私の除隊が決定してからはみんな演習ばっかり入れて寂しいことこの上な い。 お盆にコーヒーを乗せて向かう。 「失礼します。お茶です」 自分でも声のトーンが上がっていたことに気づく。 「野上、今日はいつにも増して嬉しそうだな。この前の旅行で私に惚れたか」 落としかけた。 「あ、あの」 「冗談だ。どうせ除隊してからのことで頭が一杯なのだろう」 「あ、いえ。そういうわけでは」 さすが、お見通しというわけだ。今の私は除隊後のことでいっぱいいっぱい だ。再就職は断ったから魁峰と一緒に暮らすことはとりあえず確定だが、十五 歳からずっと基地と戦地にしか世界のなかった私には外のことなんて何も分か らない。 それでも名誉除隊式典に出席し、将来文鎮にしかならないようなメダルをも らい、淡々と時間が過ぎていく。 付け加えておくと、橘さんとの関係は現在良好だ。橘さんはいろいろ不始末 があるため、現時点で退職すると不名誉除隊確定だからもう少し勤務してから 退職するとのこと。 私と橘さんが一緒に暮らすような日が来るのだろうか。 なんだか他人事みたいで実感が湧かない。 この慣れ親しんだ空気はもう少しで終わる。 「雪、だな」 お茶を飲みながら一言。 「そうですね。もう、冬ですね」 もう、秋は終わったのだ。 「橘も構わないが、中隊の連中とは仲良くやっているか」 「……最近避けられていますけど、それなりには」 そんなことを聞くなんて母親みたいだ。 「子供だな、あいつらも」 あいつらも。大尉も私も、みんなが子供のまま軍人になった。 「あの、大尉」 部屋の隅に赤色灯が点灯した。 準優先連絡だ。大尉が立つ。 「野上、少しだけ待ってくれるか。別にここにいてくれて構わない」 突然三ヶ月も前のことが浮かんだ。 そう、この秋は情報管理室に飛び込んできた準優先連絡から始まった。 ならばこの秋もやっぱり準優先連絡で 「……私だ。ん、今こちらにいるが……なんだと」 大尉が立ち上がって私の方向を向く。表情は一切読み取れない。 「わかった……私から伝えざるを得ないだろう。後で説明してもらうぞ」 連絡が切れた。 沈黙。 「あの、大尉」 大尉が下を向いたまま動かなかった。 「……野上」 言葉に覇気がなかった。大尉のものとは思えなかった。 「あの、私、なにか」 やがて平服のスカートに一つ、大きな染み 「え、」 「野上」 苦しいくらいに抱きかかえられた。 「大尉、な、なにを」 言葉にならなかった。ものすごく強い力で、動けなかった。 「今朝、野上の兄が亡くなった。殺されていたそうだ」 温かいもので目が覚めた。飛び込んできたものは自室の天井と、柔らかな香 り。思い出す。 そうだ、大尉の執務室で。 「あ、私」 空気が動く。 「野上、起きたか。千島だ、わかるか」 暖かな手が私の右手を握り、こちらを向く。紛れもない大尉で、まぎれもな い自室のベッドだった。 「あの、私、その」 記憶に残るそれに手を伸ばす。 「身体のほうは心配ないそうだが、言葉が思いつかない」 理解する前に涙が少し出てきた。そんな私をそっと、抱いてくれる手の居心 地のよさに目を閉じた。 ああ、たしか魁峰が殺された、と。 「少しは落ち着いたか」 大尉に抱きしめられるとどんな大風だって凪に変わる。 「遠距離からの狙撃。犯人は警察で捜査中だ」 最小限の言葉だった。 「……そう、ですか」 冷静に受け止めていた。 どこにも感情なんて言葉は出てこなかった。他人事みたいだった。 そういえば。 今、大尉は礼装を着用している。その金柄の短刀がただ、美しかった。 Reason in 随分と嘘をついた。 野上に見せた涙も嘘なら野上に伝えた事実も一部を伏せた。連絡の時点で野 上の兄を殺害したのが見山で、保安隊で拘束されたと付け加えられたからだ。 野上の兄の殺害。 部下の逮捕。 実際野上に構っている暇はどこにもなかった。なぜ野上の兄がこのタイミン グで殺され、その犯人に私の部下がでっちあげられたのか。 翌日には中隊の半数が身柄を拘束された。 二日後には残り半数の身柄も拘束された。 そして、野上の兄の葬式から帰ってきたとき、私にも出頭命令が降りていた。 覚悟を決めた。 この身がある限り、私の生涯と意義を誓った軍隊に刃を向けよう。 それが、兵器として生きることを選んだ人間の反抗だった。 夜。 金柄の短刀を腰に差す。友人の死と引き換えに得た私の名誉だ。最後の戦い にはその偽りこそが相応しい。 全力で挑むことを決意し、基地を後にした。 司令官秘書室勤務者三名のうち一人目の自宅へと向かう。一人車に乗り、冷 えた空気を窓越しに吸う。 なぜ野上の兄が殺されたのか。 野上の兄はいわゆる「強化プログラム」を制御するための鍵だ。その野上兄 が軍に殺されたとなると、理由は口封じに他ならない。つまり「強化プログラ ム」の制御事例が外部に漏れることを事前に防いだというわけだ。 外部とは何か。 一人目の自宅に到着。呼び鈴を押して出てきたところで首を切り落とした。 次の家に進む。 ふと、一つのことに行き当たる。 この戦争が終わったほんとうの理由。相手国首都で起こったクーデターが原 因とされているが、どこの世界に軍がクーデターを起こして戦争を中断する国 があろうか。戦争終結の真実は私たちのあずかり知らぬところで、いや、軍の 上層部ですら知らない取引の結果だ。 その取引こそが「強化プログラム」ではなかろうか。軍需企業である北東技 工と軍の中枢部は表面上こそ良好であるが、そもそも「正義」というものの捉 え方が異なる。 軍の正義は勝利と戦線拡大。 企業の正義は利益と販路拡大。 ここから先は私の推測だ。 もし、北東技工が自らの技術を敵国に売り渡す約束をしたならばどうか。 軍が黙っているわけがないだろう。いくら軍が戦争の長期化を歓迎する姿勢 を持っていたとしても、それはあくまで自国が有利である場合だ。一企業のよ うに製品が売れることが正義というわけではない。ここまできて初めて軍は北 東技工の技術力に怯えた。このちっぽけな国が世界一巨大な国にけんかを売っ て優位に立てていたのはあくまでも技術力の差に起因する士気の高さだ。そし ていくら企業の正義が利益であろうとも、母国が倒れては本末転倒だ。 気がつけば二人目の家の前で拳銃を握っていた。記憶はないが廊下の向こう に頭を打ちつけ、血を流している男が見える。殺してしまったらしい。 次に向かう。 相手国との約束。わが国の思惑。微妙な戦闘バランス。企業の利益。 当初、北東技工が相手国に技術力を売ろうとし、それを阻止するために相手 国との間に買わされた約束があった。 それが「強化プログラム被験者の排除」ではなかろうか。 そう考えると私が降下小隊の隊員を殺害した事件も、調査中隊が拘束されて いることも、野上の兄が殺されたことも全部説明がつく。現在被験者で自由行 動しているのは野上と、私だけだ。 野上の兄を殺害、中隊を拘束すれば私が単独で動くのは誰にだって明白だ。 それを理由に私を拘束し、中隊全員を法の手で殺すことができる。 私たちは消え去る。 乗ってやろう。通常の生を享受できなかったあいつらの怒りをすべて出し切 り、殺しつくそう。 三人目の家の前だ。呼び鈴を押した。 「はい」 女性の声と共に扉が開く。 撃った。二メートルは吹っ飛んで、床と壁に血痕が軌跡を残す。 「なんだ、どうした」 顔を出した同居人の頭にもう一発。家族が揃っているのは予想外だが、現時 点で目撃者は出せない。もう、殺す以外の選択肢は存在しない。 靴のまま居間に押し入る。 小さな子供が一番奥に、テーブルの真ん中にケーキが、そしてそいつの母親 がいた。 手を擦り合わせる母親の脳天につま先を食い込ませ、頭蓋骨を叩き割る。た めらいなんてなかった。子供は抱きかかえて頚椎を一気に折る。 残るは本人のみ。 「っお前は」 ここで殺してしまうのは簡単だが、聞きたいことがあった。 「今なら子供の命だけを助けてやるが、質問に答えてくれるか」 嘘だ。もう子供は殺した。生き返ることはない。 「何を聞きたい」 さすが軍人だ。取り乱さない。 「野上の兄を殺したのは私たちを抹殺するためだ。違うか」 子供の肌に少し刀を食い込ませる。 「そ、そうだ」 「それで、この後のシナリオは中隊全員の拘束と『お前たち』を殺害した罪で 処刑か」 「し、知らない」 水を放ったバケツに使い道はない。 「では終わりだな」 子供の腹に刀をつきたて、一気に切り裂いた。まだ血の気も失わない内臓が 床に零れ落ちる。その勢いで相手の首を切り裂いた。跳ね上がった血液が天井 を赤く染め上げる。 一家惨殺。 普通に法に照らし合わせても、死刑以外ありえないだろう。 こんな光景を何度も作ってきた私が生きているほうがおかしいのかもしれな い。 笑えてしまう。 あの夏、花の島で一瞬でも普通の生を望んだ自分がこの上なく滑稽だ。 今度こそ、自分の衝動に理性の全てを明け渡す。身体の奥からこみ上げる熱 いものに全身を支配させる。 Reason out 一週間の休暇は一瞬で明けた。 基地に戻る。なぜか全員の休暇届が出ていた。 がらんとした中隊控え室をただ、掃除する。 あのお葬式の後、大尉も他の隊員たちも連絡が途絶えた。出てきてみれば誰 もいない。何の感情も湧かない。橘さんにも連絡を入れてみたけれど、返事も 返ってこなかった。 最後の仕事が終わり、部屋に戻って食事も取らずに倒れこんだ。もう、明日 には部屋を明け渡さなくてはいけない。 とても疲れた。 随分眠ったような気がする。 振動に目を開けさせられた。 「……ん、」 身体を跳ね起こそうとする。が、口をしっかり押さえられて何の言葉も出な い。 「私だ、千島だ。落ち着いて聞いてくれ」 暗闇の中、その人が名前を告げた。 ずっと会いたかった人の名前だ。目を開いた。 「全部わかったんだ、野上。私たちの存在も、この戦争も、全部。これから私 は最後の任務をこなす……野上はこの部屋でおとなしくしていてくれ。中隊に は今、拘束命令が出ている。私とお前以外は今、拘束されている」 それだけを言うと私の口から手を離し、大尉が背中を向ける。 「あ、あの」 「魁峰の無念は私が晴らした。これから私は母と父の、私たちの無念を晴らし に行く」 行かせてはいけない、そう思った。反射的に身につけていた拳銃を抜く。 「だめです」 「仕方のない奴だな、どうしたんだ」 なぜ、こんなにも優しい声で私を諭してくれるのだろう。 「本気です。私は」 照準を合わせる。続けた。 「大尉を行かせません」 「……理由を聞いてもいいのか。野上」 なんてばかげた質問なのだろう。それでも私は言う。 「私は大尉が好きですから。私の任務は大尉の身を守ることです」 大尉が私の剣となってくれたのだから、私は大尉の盾になろう、そう思う。 続けた。 「私を連れて行ってください。索敵はできます。通信妨害もできます」 「そんなもの、お前に期待していない」 息が止まりそうだった。 「では大尉、私は」 多分、私の手には力すら入っていなかった。 「野上。橘を支えてやれ。それから私の机に一冊の古いノートが入っている はずだ。お前に託そうと思う」 決別の言葉だった。 「だめで」 す。まで言えなかった。 「すまない。野上と私では実力に差がありすぎるんだ」 目に留まらない速度で私の方向に向き直り、静かにそう告げた。大尉に両手 を押さえられ、そして 口を、その口で塞がれた。 「駄目です、大尉、私は、連れてって」 堅く、強い唇だった。 連れて行ってください。 それだけで頭の芯が解け、沈み込んでいった。 |
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