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時間が欲しい。 その日以来、橘さんとの待ち合わせはすっぽかした。最初の日だけ電話がか かってきたけれど、それ以上は何もなかった。 なんだかんだいって寂しくすら感じる自分が腹立たしい。でも、今会うと、 軍人として生きてきた自分の誇りも捨ててしまうだろうし、橘さんの意志も砕 いてしまいそうだから我慢する。 代わりに仕事に打ち込んだ。就業時間中は専門能力と体力を鍛えることにし た。大尉に時間を割いてもらって拳銃射撃の訓練も行った。おかげで少しは的 に当たるようになった。 で、仕事のツケは当然夜に回ってくる。例のごとく井坂曹長その他多数が演 習を企画し始めたので物品調達と演習地予約に奔走し、予算を振り分ける。突 然入った事務監査に追われ、今日は予算関連の整理ばかり。 日付が変わろうとしていた。 何杯目か分からないコーヒーを飲む。 もう帰ろう。 今日一日が忙しくてよかった。 これで橘さんのことを考えなくても眠ることができる。 控え室のロックを確認し、最低限の灯りだけの廊下に出る。 高硬質セラミックの壁、最新鋭の認証システム、熱感知監視装置、五メート ルごとに展開できる耐爆隔壁に応急装置。技術の粋を尽くした近未来の基地。 初めて基地に赴任したときのことを思い出した。 これほどの技術力があるのなら、私たちは絶対に勝てる。そのうち、テレビ アニメに出てきそうな巨大ロボットなんかも開発されて、超人みたいな英雄が 活躍して、戦争なんて一瞬で終わる。 違った。 戦闘はどこまでも泥臭くて、どんな超人でも弾丸に当たれば死んで、圧倒的 な兵器なんてどこにもなくて、ただ人が死んで。人が死ぬほどに基地が大きく なって、給料が増えて。国を背負って戦っているはずが単なる私怨と暴力だけ になって。それでも、私にはここしか居場所がなくて。人が死ぬことにすら恐 怖も感じないようになって。 やめた。ばかばかしい。もう帰ろう。 頭を振って歩く。 と、廊下右手側の天井部分に緑ランプ 全身に緊張が走った。 大尉の執務室に誰かが居る。 侵入者、だろうか。いや、私が敵ならこの施設の大尉の執務室に侵入するよ りは基地に急襲をかけるほうを選ぶ。 ということは大尉が執務中か、橘さんが何か物色中か。 いずれにせよ確認する必要がある。大尉が執務中ならお茶の一つくらい入れ てあげたいし、もし侵入者ならたとえ橘さんであったとしても取るべき措置だっ てある。 服装を整え、拳銃を確認する。部屋のロックをやっつけ、来客ベルを押しな がら左手を引き金にかけておく。こういうときはひるんだ瞬間に勝敗が決まる。 程なくして中から声が聞こえた。それでも一応左手だけは離さず、扉を開け る。 大尉がこちらを向いて座っていた。なぜか戦闘服。もしかしたら運動でもし ていたのかもしれない。 「野上、どうした」 大尉の声は柔らかくなった、そう思う。昔なら透き通る声が私を射抜いたも のだが、今は透き通る声が私の中に染み渡る。 「あ、失礼しました、大尉。お仕事お疲れ様です。お茶でも淹れてきます」 侵入者の確認、とは言わなかった。 「野上、少し休んでいくといい」 こんな時間なのに疲労の色すら感じさせない。その顔はこの上なく優しくて 、母親みたいだった。 母親なんて知らないけれど。 ここ数週間でようやく気づいたことがある。 大尉は確かに肉体も、頭脳もずば抜けた存在だ。だが、特段人間には不可能 な領域にあるわけではない。言ってしまえば千島桔梗という人間が「プログラ ム」によって強化されている部分は断じて肉体でも頭脳でもない。 その精神性だ。一切疲れを感じない、というのもその一例だ。そして最も鍛 えられた部分は「母性」だ。 この人は究極に母親なのだ。自らの子供を守り通すために手段も己が身も省 みない存在だ。 子供を守るためなら敵に容赦はない。一片の憐憫の情すらなく非戦闘員に自 動小銃を向け、斬り、爆殺することにだって悔いはないのだろう。私に向ける 視線はまさに慈母であり、敵に向ける視線は鬼母のそれだ。多分、ここで私が 拳銃を向けたところで笑顔すら浮かべて抱きしめてくれるだろうが、敵になり そうな子供が無垢の笑みを向けたところで意に介さず殺す。ならば 「一つだけ聞かせてください」 尊敬する大尉に持ってしまった疑問。 「どうした。私に分かることならいくらだって付き合ってやる」 笑顔が悲しい。私はこの笑顔にとことん弱い。 「大尉はなぜ、戦うのですか」 疑問を口にした。ほんとうはもっと続けたかった。 戦いなんて全然似合わないのに、花を愛で、蝶を愛し、橘さんみたいな人と 一緒に暮らすのが一番のお似合いだというのに、なぜ戦うのですか。 「なぜ戦うか、か……少し違う話になるが逆に野上に質問してやろう。お前は 前の戦闘で殺害した相手の顔を覚えているか」 「いえ、記憶には」 即答した。あれほどの戦闘で敵の顔なんて覚えていられるわけがない。 「私は今まで殺した相手を全員覚えている」 「え」 沈黙。 「訓練中に死んだ奴から戦闘中に殺した奴、殺された味方もみんな覚えている。 私は死んだ人を忘れない」 それは母親の姿をした大尉ではなかった。 「もし願いが叶うなら彼らに会いたい。今度は全員味方で、植物園にでも行っ て笑いあいたい。そんな馬鹿みたいな感傷が私の戦闘への強い憧れの原動力だ。 私は殺した敵の分まで、その生を刻んでやりたい。だから、戦う」 何一つとして理解できない。 その崇高さも過酷さも人間を超越している。全ての死を刻み、抱え、それを 原動力に戦い、終わることのない戦闘に身を置いて。 「私は強い。だから弱い奴を殺した。野上……前の部隊の最後の仕事は私が全 員を殺害することだったんだ」 背筋が凍った。 「それって、仲間内で」 大尉が頷く。 Final Mission 戦争終結の知らせは基地で聞いた。周囲が喝采に包まれ全ての報道が歓喜に 騒ぐ中、私たちは沈黙の色濃い兵舎にいた。誰も何も言わなかったし、私も何 も言わなかった。 これで戦争が終わった。平和が訪れた。念願の勝利だ。これからは父と母の 墓参りなんてしながら民宿の経営をしてもいいんじゃないか。 本気でそう思った自分を否定はしない。だが、知らせを聞いて一日して、今 までとらわれたこともない恐怖が訪れた。 戦争が終わったという真の意味。それは一切の賞賛を必要としない私たちも いずれは解体されるということだ。私が恐れたのはただ一つ、自分の存在意義 が消えてしまうこと。地位も名誉もいらない。ただ、戦争があればそれでよかっ た。それが私の生きた証のはずだった。 そこで別の考えに至った。 軍という組織は平和を良しとしない。そもそも軍はほんとうに戦争の終結を 望んだのか。敵国での軍主導クーデターなんてでっちあげたのは戦争を長引か せるためのはずだ。相手国の軍がより力を持てば私たちも力を持ち、戦争が長 引く。戦争が長引けば私たちの存在理由もある。そのために私たちは任務をこ なしていたつもりだった。なのに突然広大な領土の分割と共に相手国が降伏。 ありえない。 そんな折、隊長が作戦命令を私たちに伝えた。 『とある国内の集落を襲撃し、住民をできうる限り殺せ』 軍が国民を殺害するというとんでもない命令だが、理由はすぐに思い当たっ た。戦争という脅威が去った今、組織の生き残りをかけ敵国によるテロリズム を自作自演し、再び戦争を開始しようという魂胆だ。 卑劣だろう。極悪非道だとも思う。 だが私は軍人だ。命令には百を持って応える。理由も、良識も批判も必要な い。兵器に高次の思考は必要ない。命令をいかに遂行するか。それだけだった。 作戦の立案は私に任され、地図を渡される。 凍りついた。 襲撃対象は私の故郷の島だった。 この長きに渡る戦争の発端となった奇襲もこうやって計画されたのだ、そう 気づいた。瞬間、私にとって軍隊とは守るべきものではなく敵になった。突き 詰めていくと、私は軍人ではなく自分の誇りを優先し、誇りの重さを天秤にか けて敵と味方を区別する都合のいい奴らしい。目下の敵は集落を襲おうとする 私たちだ。 ならば殺すまで。 完璧な作戦を立て、任務先に向かうヘリの中、小隊の隊員を全員殺した。 簡単だった。近接戦闘は私が一番強い。情報戦でもなければ暗殺でもない。 爆発物も正確な狙撃も交渉も必要ない。二十三名をわずか二分で殺した。 その足で北方司令部に向かった。戦況の報告と裁きを受けるためだった。 だが、私に返された言葉は 「よくやってくれた」 信じられなかった。 彼らの説明によると、戦争終了後に何らかの作戦を私たちに指示したことは 一度もなく、私の受けた命令は隊長の独断によるものだった、とのことだ。そ の上でもはや軍の統制をはるかにはずれた兵器が他国に流出するのを未然に防 いだ、と評された。 無罪放免。それどころか昇進した。 残された資料を精査し、事の真偽を自分なりに判断した。確かに命令書は偽 造されたものだったし、隊長が独断で集落襲撃を思いついたという言には信憑 性がある。だが、隊長の耳元で組織の危機をささやき、襲撃を思いつかせる何 かをちらつかせた奴がいる。そいつは多分私の行動まで予見して、制御できな い殺人兵器を私という兵器で退場させたのだ。 Final Mission End 「私が殺した」 その一言だけだった。大尉が机の上のノートを引き出しに戻し、目を閉じる。 どれほど苛烈な戦いだったのだろう。 私には何もわからないし、聞いても教えてくれないに違いない。 越えられない溝があった。 「さて、そろそろ私も切り上げよう。話は変わるが、橘とは仲良くやっている か」 ついさっきまでの深刻さなんて消え去り、再び笑顔が覗く。娘の成長を冷や かしたくて仕方のないお茶目な母親、というところだろうか。 「はい、普通です」 あれから一度も顔を見ていないけれど、大尉を心配させたくはなかったから、 嘘をついた。 もし私に本物の母がいれば、軍人になることを止めただろうか。 「告白はされたか」 「え、なんで」 赤くなったと思う。 「あいつの行動パターンくらいお見通しだ。弟だからな」 「そう、ですか」 一緒に笑う。 「除隊の話、考えてくれたか。お前にこれ以上、危険なことをさせたくない。 経済的なことならいくらでも支援してやる」 笑って、寂しくなった。 「どうして、なんですか」 分かっている。今の中隊で私は明らかにお荷物だ。それならばお土産をつけ てでも追い出すほうがみんなのためなのかもしれない。 「野上を好きだから、では理由にならないか」 「それなら橘さんだって大尉のこと、好きです」 いじわるだろうけれど、その言葉を持ってきた。 「私も橘のことはとても好きだ。言葉に尽くせぬほどに大好きだ。この世に一 人生き残った肉親なんだ。その肉親の幸せを願って何が悪い」 はにかんだ笑顔が柔らかく霞む。 ああ。 やっぱりそうなんだ。この人は普通の人で、そして橘さんのことが大好きな んだ。 ならば受けよう。 全部忘れて生きよう。 「大尉、除隊願いを提出してよろしいですか」 いろんな思いをこめた。 「ありがとう、野上」 そんな言葉がうれしかった。自分の仕事に誇りを持てるようになった。 「あ、でも、一つだけお願いしていいですか」 肩を並べた大尉のわき腹をつついてみる。 「っ何をする」 大尉が顔を染める。結構かわいい。 「大尉の故郷の島、案内してください。二人っきりで」 「……わかった。私も一度くらい帰ろう。そうと決まれば早速明後日にでも休 暇をとるか。他の手配は私の方でやっておく」 ……有無を言わせない。また残業が多くなりそうだ。 |
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