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二日後に来た守備隊に任務を引き継いで、帰国した。誰も私たちのことにつ いては触れなかった。あいかわらずののんびりした空気が気持ちいい。 帰ってきてからも特に休暇をとるわけでもなく、事務処理と研修と訓練の手 配に終われる。二日前坂上二曹が派手な発破訓練を計画し始めたので処理案件 に許可書の作成に追われて時間は午後十時半。まだ仕事が半分も終わらない。 と、電話が鳴った。 ため息一つ。 せっかく仕事に打ち込める時間なのに。 「はい、調査中隊です」 少し無愛想に返事した。 『千島だ』 え。 「は、はい。野上です」 一気に声のトーンを上げる。 『遅い時間だが、手が空けば執務室に来てくれるか』 「はい、わかりました」 疲れもぐだぐだ感も吹っ飛んだ。鏡の前で髪と服を調え、お盆にコーヒーを 乗せて執務室へ向かい 「野上、入室します」 指を添えてロックを解除。 入った。 相変わらず何の飾りもない部屋だ。 でも、よく見れば壊れた時計が姿を消している。どこかにしまったのだろうか。 「ん、野上か。こんな時間までご苦労だな……ちょっと見てくれ」 大尉が手招きし、自分のパソコンのモニタを指差す。トラブルだろうか。 「……失礼します」 首だけを覗きこませた。 「どうだ」 「え、」 女性向け同人誌のサンプルだ。 「ってなんて物見せるんですか」 絶対赤くなったと思う。 「なんだ、興味ないのか」 「ありません、絶対に」 机を叩く。 「本当か」 「本当ですっ」 「勤務中の通信履歴を調べられても、か」 「……ごめんなさい。嘘つきました」 鬼畜だ、この人。 「さて、少し聞きたいことがある。別に命令でもなんでもないので気軽に構え てくれ」 大尉の目が一気に鋭くなる。 「は、はい。なんなりと」 なんて言いながらも緊張が高まる。 「では、単刀直入に聞くが」 椅子をこちらに向ける。 「現在野上には好きな人、いや、付き合っている人がいるのか」 「……はい?」 聞き間違えたかと思った。 「二択問題だ。いるのかいないのか、どっちなんだ」 さっきと同じからかいだろうか。 いや、違う。目が真剣だ。私も真剣に考える。そう、この場合の「好き」と いうのはやっぱり異性を指しているのだろう。当然魁峰のような兄弟も除外さ れるだろう。 とすると、だ。私の周囲には結構男が溢れている。 例えば今の仕事仲間。全員が尊敬の対象だ。でも、やっぱり今の「好き」と いう言葉には合致しない。 考えたくはないが、橘さんのことだろうか。橘さんとは今だって毎日のよう に会ってはプログラムの話ばかりをしている。色気も何もないが、確かに嫌い ではないし、心を許せる人だ。でも、橘さんはどうしようもないくらい大尉の ことが大好きだということも知っている。 「ですから、私は橘さんと大尉はお似合いだと思います」 「……橘さん、だと」 つい口走ってしまったその言葉に慌てる。 「え、その、大尉。私は何も」 「私は橘には何度も振られていてな。それよりお前たちが二号兵舎の裏で落ち 合っているのを見るが、なかなかにお似合いだぞ、野上」 やっぱり。 「見ていたんですね」 「部下のやる気保持も仕事のうちだからな。橘のこと、好きか」 単なる好奇心ではないのだろう。 「ちなみにお前たちがそんな色っぽい話をしていないことも知っている。だが、 これ以上探るのはやめておけ」 「大尉、どうして」 さすがに盗聴は 「昨日、橘から話を聞いたんだ。橘は強化プログラムの生き残りを全員探りあ てたようだ。その上で言わせてもらうぞ、野上」 好奇心でも、忠告でも、なんでもない視線が向けられる。なぜか心を全部預 けてしまいたくなる。 「橘のこと、よろしく頼む。私のことも、中隊のあいつらも今更戻れない。戻っ たところで人間が耐えられるような重さの罪ではない。よかったら野上を名誉 除隊者に推薦してやろう」 何もかもが壊れていく気分だった。 頭では分かる。大尉の言っていることは正しい。それに名誉除隊すれば生活 だってずっと保証される。今更過去の人体実験の話なんてどうだっていいとい えばそれまでだ。でも 「橘さんは大尉を好きなんです。そもそも、この部屋の登録者に准尉を加えた のは大尉ではないですか」 お互い好きなくせに。そう思う。 「それは間違いだ。聞かなかったか野上。私と橘は正真正銘の兄弟だ。ただ、 あいつは強化プログラムを受検しなかった、そして私は受けた。それだけの違 いだ。それに、私はあいつの婚約者を殺した。私のたてた作戦で、見捨てたん だ」 「そんな」 「橘のことは私が一番よくわかっている。あいつは父親の顔を知らず、母親を 親族に殺され、婚約者を私という姉に殺されたんだ。そのあいつが今度こそは と思っている。橘のこと、どうか支えてやってくれ。姉として弟にできるちっ ぽけなお願いだ」 頭を下げられた。言葉が続かなかった。 姉として弟にできるちっぽけなお願い。 ならば、「弟」は「姉」に何を願うのだろうか。その願いは誰を幸せにする のだろうか。 と、言われたところでだ。 銃殺刑執行か付き合うかを選べというお題なら迷わずに橘さんを選ぶだろう が、平和かつ安穏な日々を過ごす私には橘さんなんて忘れてしまえばそれまで の同僚である。 格好いいのは認める。性格だって悪くなければ気心も知れている。何よりも お互い軍人だ。私のことだって一般人よりは簡単に理解してくれるだろう。そ れに、確かに私だっていい年齢だ。名誉除隊して安穏と暮らせるのなら、それ に越したことはない。幸いにも魁峰は橘さんに好印象を持っているみたいだし、 一緒に住めば結構楽しいかもしれない。 でも。 もう一押し、何かが足りない。私は多分一生足りないままに終わっていくだ ろう。 「どうなんだろう、実際」 「ん、どうした、葵」 「考え事です。少し静かにしてくれますか」 脊髄反射で橘さんの言葉を遮る。 「好きな人でもできたか」 「って人の思考を読まないでください、あ」 「当たりか」 墓穴だ。どうも私はこのパターンに弱いらしい。 「知りませんっ」 状況が状況なのでそっぽをむいておいた。 「俺は葵のこと、好きだぜ。ものすごく」 「なんですかそれ。早速告白タイムですか、橘さん」 茶化した。本気にしたら馬鹿にされそうだし、無碍にするのも本意ではない。 「好きだと言ったんだ。答を返せ、葵」 そんな直球で来られるとは思っていなかった。卑怯だ。 「すぐに返事をできるようなことではないです」 ため息。 外面の格好いい芸術肌の音楽要員。 ものすごくいい加減で偉そうな態度をとる人。 過酷な過去を隠す強い意志を持った優秀な兵士。 一体、何がこの人の本質なのだろう。 「いや、別に断ってくれていいぜ。俺、女運は低いからな」 自嘲気味に笑う。 「……一つ、聞かせてください。橘さんは大尉を、どうするつもりですか」 いずれは兄弟として暮らそうと思っているのだろうか。 それとも、このまま分かれていくのだろうか。 または、 「千島さんには殺せと言われたんだけどな、昔」 そんな結末を望んでいるのだろうか。ならば私は橘さんから思いを断つこと だってできる。 「でも、そうなる前に助けてやると約束した」 それはいつか聞いた強い言葉。 その強さの前に、やっぱり私は無力だ。 「いつだって、卑怯なんですね。正面切って戦っても強いくせにだまし討ちが 好きなところ。橘さんのお姉さんとそっくりです」 捨て台詞だけを残して背中を向ける。私のほうがよっぽど卑怯だ。 「あのさ、葵の私用メールにちょっとラブレター送ったんだけど、読んでおい てくれないか」 嘘だ。多分、橘さんはこれまでの調査結果を送付したんだ。だから返事はし ない。 仕事はすぐに切り上げた。 部屋に戻る。個人用パソコンに電源を入れ、電子メールのチェック。 ……あった。 題名:ラブレター 送信者:橘幸一 読むことにした。もしかしたらその中身がほんとうにラブレターであること を祈って。 野上葵殿 受検者の身元が全員わかったので伝えておこうと思う。 野上葵。貴方はこれまでに二回、受検している。これで二十一名全員が特定 された。 魁峰が教えてくれたことを今、葵に伝えておこうと思う。 話は葵と魁峰が出会ったところから始まる。 葵と魁峰は共に占領地に入植していた開拓団だそうだ。葵が三歳、魁峰が八 歳になるとき、敵襲で葵と魁峰の二人を残して開拓団は全滅した。魁峰は何も 知らない振りをしているが、全てを記憶しているらしい。 魁峰に妹がいたのかどうか、そこまで無粋なことは聞いていない。ただ、軍 に助けられ、北東技工の社会福祉施設に預けられたとき、魁峰は葵を自分の妹 だと言い張った。そして適齢であった葵は強化プログラムを受検し、魁峰は受 検させられなかった。 幼い魁峰にプログラムの意味などわからなかった。だが、自分の元に返され た葵が以前とは異なっていることだけはわかったらしい。葵がプログラムの結 果、破壊衝動に駆られるようになった、とだけ聞いたが、詳しいことは魁峰も 言わなかった。 魁峰は迫った。 葵を元に戻せ、と。 他の理由はあるのだろうが、葵を元に戻す二度目のプログラムの受検が決定 したという。 方法は簡単。改変された脳の組織を正常な物に入れ替えればいい。 正常な脳の組織は魁峰から提供された。 想像してほしい。 わずか八歳の魁峰がどれほどの覚悟で挑んだか。 魁峰が一瞬で承諾したのか、考えに考え抜いて、頷いたのか知らない。 いや、魁峰は言わなかったが、多分悩みぬいて、最後の最後まで結論を出せ ずに実験に挑んだ。そして葵を取り戻したはずだ。 以上が魁峰の語ってくれた二十一人目のプログラム被験者、野上葵の物語だ。 裏付けるデータは傍証程度には存在するので、添付しておく。 橘幸一 読み返した。 橘さんお得意の嘘だろうか。 どこで笑ったらいいのだろう。 そう思って何度も何度も読んで、そして 泣いた。 思いっきり泣いた。 今までずっと、私に足りなかったものが分かった。 人間らしい感情だ。今、ようやくそれを取り戻せたと思う。 魁峰の影に隠れて過ごした日を思い出した。魁峰の弱い笑顔を思い出した。 |
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