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完璧な人間というものは存在しないもので、結論を言ってしまえば我らが大 尉にだって苦手なものがあるらしい。 「……ですから、今、なんとおっしゃいましたか」 「お前が指揮を執れと言ったんだ。そんなもんで手を煩わせるな」 そんなもんとはテント設営である。そんなもんと切り捨てる割には語尾が弱 い。大尉の顔には若干の申し訳なさすら漂っていた。 「もしかして千島ちゃん、テントの設営は苦」 ごつん。ものすごく理不尽な暴力だったと思う。いつもどおり余計なことを 言って額に拳の痕のついた見山一曹を能見二曹が引き上げる。 「さて、私も作業には従事しよう。気遣いは不必要だ。さあ、指示を出せ」 みんな大人だからそのあたりの事情については一切触れず、黙々と作業をこ なす。 設営さえ済んでしまえば後は専門の出番である。地形調査に向かう隊員もい れば武器の手入れに専念する隊員もいれば水電気その他の確保に奔走する隊員 もいる。私は通信の開設と搬入物資の管理をしながら隊員個人の荷物整理。大 尉の荷物も紐解く。やたら重い鞄の中にいくつかの機密書類と古そうなノート が見える。 大尉の日記だろうか。 いずれにせよ詮索するのは私の仕事ではない。そのノートの存在については 見なかった事にした。そうしたほうがいいと思った。 一日があっという間に過ぎる。一人近くの集落に交渉に行っていた大尉が帰っ てきたのは日の落ちる寸前。大体の作業を終えた私がテントの外に出ていたと きだった。 「ご苦労。早速だが明後日は掃討作戦を実行することになるだろう。いろいろ 伝えたいこともあるが、今日はとりあえず休もう」 今日一日は隊員にとってどんな日だったのだろうか。ふと郷愁に駆られたよ うな気がした。 大尉たっての希望で火を囲む。美しい星空と、静かにふける冷たい夜が心地 よい。夕食後のちょっとした休憩、というところだろうか。 「さて、そろそろお待ちかねの自己紹介タイムだ。上末から順番に右回り。男 気あふれると自覚できる奴は言葉の最後に『酒が足りません』と付け加えろ」 突然だった。その言葉だけで戦闘以上の緊張が走った。絶対に隣の奴に男気 では負けていられないという殺意にも似た視線が交錯する。前々から思ってい たのだが、大尉は無駄に男子校か体育会のようなノリが大好きだ。黙っていれ ば眉目秀麗の麗人なのに、やたらアホなことをするのが大好きなあたり、お茶 目を通り越している。が、そんなことに突っ込みをいれるほど野暮な奴なんて どこにもおらず。早速上末曹長が立ち上がった瞬間から 「上末剛司、陸曹長であります。酒が足りません」 離れていても匂いが分かるほどきつい酒を一息。どこから突っ込んでいいの かすらわからない自己紹介だ。 「……野上、上末についでやれ。上末、趣味でも戦歴でもなんでもいい。野上 に対する熱い思いでもいい。この場を盛り上げろ」 渡されたボトルを上末曹長の杯に注ぎながら無茶苦茶な指示が飛び出す。ち なみに大尉のおかげで十二分に盛り上がっているのだが、この場を更に盛り上 げるというのは至難の業だ。 「はい、趣味は筋トレ、分隊としての戦歴は損耗率ゼロ、得意技は力技、野上 二曹に対する熱い思いは愛であります。酒が足りません」 ところでこいつら、愛という言葉の意味を知っているのだろうか。 「ところで上末、愛とはなんだ。食べられるものなのか」 待て、大尉。 「はい、隊長、愛とは全てであります。酒が足りません」 今の会話は成立したのだろうか。お互いに納得したような顔をしてにらみ合 う。そう、上末曹長に限らず、皆大尉のことが大好きなのだ。口に出来ないか ら私の名前でごまかしているのだ。人間を超越した理性と体力を持ち、中隊を 引っ張るくせに、こんな人間臭い笑いが大好きな、誰よりも純粋な大尉を大好 きなのだ。みんなのお母さんみたいな大尉のことが大好きなのだ。 「私は上末のことが大好きだぞ。これも愛なのか」 「はい、隊長の熱い思いは人類愛であります。ペットではありません。酒が足 りません」 今の発言は酒というよりも頭が足りなかった。残念である。 「野上、そこのアホに表面張力が起こるまで酒をついで溺死させろ。上末、と りあえず能見を相手に力技を披露しろ」 まあ、そんなこんな意味不明のノリである。誰もが戦歴自慢をした。公園で やっつけたガキ大将をお母さんに自慢して、褒めて欲しいのだ。 誰かをやっつける。それ以外に褒めてもらう方法なんて知らないから。 自己紹介が一巡して、私は軽く笑ってごまかした。大尉の番になった。 「調査中隊長、千島桔梗。階級は大尉だ。酒が足りんな」 立ち上がる。火に煽られる感じで大尉の普通でも大きな胸が輪をかけて強調 される。当然のごとく誰もが口を開けて見とれる。放っておくと誰も注がなさ そうだから私が酒を注ぐ。まったく、戦闘になれば格好いいのにこんなときの 隊員の顔は馬鹿みたいだ。 「さて、何か聞きたいことはあるか。別にスリーサイズでも野上の下着の色で もお前たちに対する愛でもなんでも語ってやろう。酒が足りないな」 「ちょっと大尉。なんで私の下着の色なんですかっ」 「どうせ購買に売っていた白色のやつだろう。それとも野上は酒が足りないの か」 ばらすのは勘弁してください。 「はい、隊長。質問があります」 手が挙がった。少しだけ感謝する。 「隊長は降下小隊の所属だったと聞いていますが、そのころのお話を聞かせて ください」 上末曹長だ。純粋に戦闘以外に興味を持っていないのだろうが、ほんの少し だけ大尉のスリーサイズを聞いて欲しかったような気もする。 「降下なんて名前は外部の奴が勝手につけた名前なんだが……あの頃の話か。 もっと笑える話の質問はないのか」 言いよどむ声が大尉らしくなかった。 「私なら印象に残った兵士、というものがありますが、大尉の戦友のお話をお 聞かせくださいますか」 井坂曹長が相変わらずの優しさを告げる。決して武功を賞賛されることのな い、それでも誇りに溢れる井坂曹長が格好いい。 「……仕方のない奴らだな。ならば私の立案した作戦の話でもしてやろう。収 容所の襲撃を行ったときのことだ」 息を呑む音が聞こえる。 「あの、奪還作戦ですか。あれが」 上末曹長が口を開く。今ようやく謎が解けた気分なのだろう。 聞いたことがある。収容所の捕虜奪還任務は公式には陸軍の空挺が遂行した ことになっているが、実際出動してみると既に収容所から抜け出していた味方 の保護を行うだけだったらしい。 「あれは隊長の立案だったんですか」 ため息が漏れる。確かに戦闘の結果、味方に二十数名の死者を出したが、相 手国の収容所守備隊は壊滅した。何よりもわが国の士気をこの上なく高めた。 「あの計画の後、私はこの短刀を授かった。だがあの作戦は断じて成功ではな い。私の失敗だった」 大尉の声が鋭さを取り戻す。 「いいか、今からの話に質問は受け付けない」 Beginning Time in 計画は二ヶ月前から進めていた。小隊より二名を収容所にまぎれこませ、味 方の結束と計画を纏め上げていた。その後小隊が空から突入し、司令室を掌握 して守備隊を集結さえ、一気に叩く。収容所の攻略ならばありがちな計画だっ た。そして当然のごとく、突入の成功を間違いないものとするため、陽動を配 置する必要があった。 陸軍227工兵小隊。 彼らを選んだ理由はない。作戦の理由も、自らが陽動であることすらも知ら せず、配置した。最初から陽動を見捨てなければこの作戦は成功しないことく らい、私にだって分かっていた。 結果。 作戦は大成功だった。 動くものは全部殺した。全身を血まみれにして、それでも疾走した。半殺し にした敵をわざと放置し、治療に来た奴を撃ち殺した。敵か味方か区別がつか ないように戦闘服だって敵兵士と同じものを着用した。緊急無線で集合させた 守備隊を上から爆殺した。収容所付きの非戦闘員を脅し、口を割らなければ手 足だけを撃ち抜いて転がしておいた。口を割れば頭を撃った。捉えた捕虜を薬 殺し、治療室に爆薬を仕掛けた。少年兵を一動作だけで二人切りつけた。正義 も、仁義も何もない戦いだった。私たちこそが卑怯なゲリラだった。人間とし て生きることも、兵士としての最低限の誇りすらも捨てた。 それでも、私の中にはたった一つ、譲れない生き方があった。 だから戦った。かつて、私は自分に誓いを立てた。 下劣であっても悪辣であってもいい。ただ戦い、勝ち、生き残る。それが戦 闘にしか安息を見出せない私の存在理由だから。何もかも捨てても、その誓い だけは捨てられなかった。 救った味方にも、殺した敵にも感情を抱かなかった。人を殺すときだけが私 の生を感じる瞬間だった。 戦闘が終了し、は明け方になってから外に出た。 死体があふれていた。 陽動に配置した味方の死体だった。敗走した敵がせめてもの腹いせに残虐の 限りを尽くしたのだろう。彼らは身体を引き裂かれ、押しつぶされて死んでい た。私の最期もきっとそうなるのだろうと思った。 そんな中にきれいに身体を残された死体が見えた。 女性だから。そんな理由でなぶり殺されたのだろう。 見開かれた目が私に合う。 高校の頃の同級生だった。 口元からこぼれた血液が朝の光にひからびていた。その子の笑顔を思い出し た。 そして まだ動いていた彼女の懐中時計をナイフで割った。 Biginning Time out 「私は自分の戦った相手も戦友も全て覚えている。自分が殺した相手の最期の 顔も、苦痛の声も、全部覚えている。一人殺すたびに記憶に彼らを残していく。 それが私なりの弔いだと思っていた。なのに」 言葉が句切られる。赤い火が顔を照らす。その顔に何かがぬれた。 「私はあの部隊のことを何も知らない。そこにいたはずの人を思いやろうにも、 弔おうにも、何もわからない。私の一番の友人がそこにいたのに、何もわから ない」 孤独だった。歴戦の将の、誰にも慰めることのできない孤独だった。 「あの後で俺の、救難救助小隊の仲間も帰ってきたんです。だから成功ではな いなんていわないでください。大尉はこの国を救った。それでいいと思います」 井坂曹長が言う。どんな言葉も慰めにすらならないだろうけれど、ただ真実 だった。 「千島ちゃん。俺は懲罰部隊を仕切ってたけどさ、あのときのうちの盛り上が りはすごかったぜ。このくには負けた奴を見捨てない。そう示してくれたのは あの作戦だ。あんたほど士気を高めた奴はいない。俺はそんな上官の部下で、 幸せです」 あの見山一曹一言、幸せと言う言葉を口にしていた。 |
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