秋、果ての岬 -Alone-

第九話

 重苦しい沈黙、かと思いきや。
「どう思うよ、隊長のこと」
 でかい声が士官食堂の上品さに響く。周囲の事務系士官たちが別の生き物で
も見るかのような視線を投げつけるが気にしない。
 でも、確かに異常だろうな、とは思う。
 やたら長い机に一列、Aセットが並び、ゴリラも裸で逃げ出しそうな男たちと
私が食事をとっているわけだ。私を除く全員がごはんを特大盛りにし、机の右
側、すなわち井坂曹長の班の全員がなぜか海藻サラダについてくるプチゼリー
を並べているのは笑いを取ろうとして失敗した感が否めない。ちなみに机の左
側、すなわち上末曹長の班はなぜか豚汁についてくるミニプリンを並べている。
端から順番に醤油が渡され、プリンが黒く染まる風景にいたってはさながら罰
ゲームだ。
 そんな異様な光景の中、何度目かになる上末曹長の怒鳴り声にも似た言葉が
飛ぶ。
「誰か返事しろよ。隊長のこと、どう思うと聞いているんだ」
 怒鳴るごとにさっきできたばかりの青あざが面白いくらい動くのだが、殴ら
れた痛みは引いたのかだろうか。いや、それ以前にあれほど精神的にいたぶら
れながらよくもけろってしていられるものだ。ある意味で人間を超越している。
 いや、だからこそ大尉も手加減をしなかったのか。
「あの戦い方は絶対異常だろ、そう思うだろ……おい、井坂、なんとか言えよ」
 ここで班員を指名しない当たり、変な男気を感じてしまう。指名された井坂
曹長のほうは相変わらす目を閉じながら箸をサラダに突き立てて
「戦い方はともかく格好良かったのは事実だと思うが、上末曹長」
 義務感八割で返事をした。
「そうですね、井坂さん。戦い方は素晴らしかったと思いますが」
 と、こちらは井坂班の一人。
「わ、私も結構安心できたかなあ、なんて」
 私も便乗して井坂曹長の言葉に頷く。
 ここまで来ればあとは雪崩である。さっきまで怒鳴り声一色だった食堂に会
話が咲く。上末班はいつ主人を裏切ろうかどうか全員で目配せだ。あちこちで
ため息が繰り返され、場の空気が一気に和む。
「野上さん、あんた大尉の出迎えしたんだろ。どうなんだよ」
 突然振られた会話に驚きながらも記憶を手繰り寄せる。
 えーっと、鞄を持ち、大尉の執務室に入り、それから確か着替えて
「はい、間違いありません。いたってシンプルな白でした。上下はお揃いっぽ
かったです」
 時間が凍る。
「ってなんで大尉の下着の話をしているんですか私っ」
「白、か、井坂」
「ああ、白らしい、上末曹長」
 今、私の中で井坂曹長のイメージが崩れた。
「やっぱ、白ですよね」
「はい、俺真っ白です」
 誰かこいつらをなんとかしてくれ。
「妄想はやめておこう。どうせ大尉の下着姿なぞ一生拝むことはない」
 さっきまで妄想に入り浸っていた井坂曹長のものすごく冷静な言葉を発する。
「で、野上二曹、大尉の簡単な経歴とか何か知らないか」
 振り出しに戻る、である
「そうそう、最上の儀礼で出迎えて、当の本人は階級標識だけ。勲章の類なし。
なぜか短刀刺して中央司令官の見送りつき。普通ではない待遇だ。それに今日
の演習も」
 答えることにする。多分話していけないことではない。
「大尉は『降下部隊』にいたと言っていました。あ、もちろん裏付けるような
書類は知りませんけれど」
 空気が固まった。
「降下」
「小隊」
「だと」
 古。
 とはいえ驚きは当然であろう。あっちこっちでプリンとゼリーを喉に詰まら
せ、隣の奴に胸を叩かれる音がし、上末曹長の額に冷や汗が流れる。多分初顔
合わせの失言特集を思い出しているのだろう。
「……納得した。あの戦い方、普通ではなかったな」
 そこで一人が口を開く。
「降下部隊のやつら、わざと敵の腹を切り裂いて窓から投げ捨てたりするらし
いぜ。戦意を喪失させるらしい。階段があったら切った首を転がしたりさ。ま
あ、俺んとこはそうやっておどしすかして」
「見山一曹。根拠のない噂はやめてくださりますか」
 井坂曹長のやわらかな言葉が見山一曹に向けられる。ほんの少し、ほっとし
た。
「俺たちもある程度強化されているが、さすがに」
 工兵出身の坂上二曹だ。誰もが注目する。
「どういうことですか、坂上二曹」
 強化プログラムのことを言っているのはわかった。
「例えば井坂なら判断力、俺なら全身の筋力だ。でも、俺の力は単なる火事場
の馬鹿力の応用編だ。使いこなせるほどの感覚も判断力もない。疲れもすれば
集中力も低下する。わかるか、野上さん」
 予想外に落ち着いた上末曹長の言葉に頷く。
「軽自動車にジェットエンジンを積み込んでも、車体が壊れるだけ、ってこと
でしょうか」
「面白い例えだな、野上さん。簡単にまとめるとそういうことだ」
 強化プログラムが成功しない理由はそこにあった。所詮、人間には脳の改造
なんてできやしない。ただ、いじるだけ。結果、与えられた力を支えられるだ
けの精神力を持ちえず、壊れてしまうのだ。今、中隊にそろっている人は偶然
にも力とその制御を可能とした、奇跡の産物なのだ。で、この奇跡のような人
たちをいともたやすく打ち破った大尉はまさに奇跡中の奇跡ということになる
のだろうか。
「いや、野上さん。隊長は根本的に違います。例えば野上さんは何の迷いもな
く非戦闘員を殺せますか」
 能見二曹が突如、口を開いた。言葉が、出なかった。
「さきほどの見山さんの噂もある程度事実だと思います。さきほどの隊長との
演習で確信しました。確かに隊長は体力も判断力も反射神経も素晴らしい。疲
れを知りません。最強の戦闘員です。ですが、隊長は今日、私を平然と盾にし、
用が済むとためらいもなく後ろから撃ちましたあの人は多分、性格ですらも強
化されているんです」
 大尉の姿を思い浮かべる。
「そんな、嘘」
 例えば上末曹長のような例なら分かりやすい。小脳の運動制御系を自由に解
放できれば上末曹長のような存在はそれほどまでに不可解ではない。感覚器官
だって閾値の低い神経線維の信号を拾うことができれば犬並みの嗅覚を持つ人
間だってできるだろう。
 だが、性格なんてそんな簡単に強化されるのだろうか。
 ぬいぐるみに心を奪われた大尉の姿を思い出した。
 あの大尉が、感動も憐憫も置き忘れた人なのだろうか。
「あの、私、大尉はそんな人ではないと思います。着任後もとても私に優しく
て、それに着任の挨拶が、我が命と名を部下のために」
 上末曹長が手を上げた。
「我が知と力を部隊のために」
 井坂曹長に視線を向ける。
「我が誇りと正義を国のために尽くします」
 完璧だった。
 なんだ。結局最初の最初から好きだったんじゃないか。
 さっきのは確かにひどい演習だった。でも、私たちはなぜか大尉のことが大
好きらしい。大尉についていけば絶対に勝利と、栄光を約束されている気がす
るけれど、心から一緒に行動したいと、そう思う。
「なあ、野上さん。あんた通信兵だろ」
「へ」
 来た。見山一曹である。
「物は取引だ……大尉の着替えでも盗撮して売れば」
「井坂、」
「ああ、上末曹長」
 両班長の絶妙のコンボが見山一曹の顔にきれいに決まった。身から出た錆で
ある。
 そんな、穏やかとはいえないけれど、どこか休まるような時間が過ぎた。誰
もが愛に飢えていた。自分の意志すら定かでない時期に身体を作りかえられた。
戦闘のプロになって、人から恐れられ、精神の崩壊に怯え、誰もが孤独だった。
そしてその中心に大尉がいた。

 で、翌日。
「おはよう、今日も全員並んでいるのか、たいしたものだ」
 時間は九時過ぎ。昨日のような厳格さも何もなく、ジャージにタオルという
適当な姿で大尉が現れた。橘准尉と同級生だった、というのもうなづけてしま
う。それに対して一糸乱れぬ敬礼、そして
「はい、ペットにしてください」
 そうか。今日はペットにしてくださいと語尾につける日だ。
「……ペットにしろ、だと?却下だな。気色悪い」
 鬼だ、悪魔だ。悪辣下劣の極悪非道だ。相変わらずの無表情を貫く井坂曹長
の眉が跳ね上がりかけたのを見逃さない。
「さて、今日の予定だが夜にもでも親睦会を開こう……そこの家畜二号、買出
し行ってこい。この辺りに存在するアルコールは全部中隊のものだ。勘定は私
のカードで切っておけ」
 家畜二号扱いされた井坂曹長にカードを渡す。なんという太っ腹だ。
「はい、行ってきます。ペットにしてください」
「パシリぐらいでペットに昇進はできないな。後片付けもするなら考えてやろ
う」
 家畜も嫌だがペットもごめんだと思う。
「わかりました。井坂以下、明日の任務は後片付けとしてよろしいですか。ペッ
トにしてください」
「仕方ない。後片付けは全員でしよう。井坂はその後ペットにしてやる。分かっ
たらさっさとパシって来い。残りの奴はとりあえず基礎体いくぞ」
「はい、ペットにしてください」
「まずは懸垂で身体を温めろ。初日だから二十回で勘弁してやる」
 と、まあ。中学か高校の体育会系のノリなのであるが、大尉は始終笑顔であ
る。もしかすると大尉は相当危険な性癖を持っているのだろうか。
「十八」
 声を張り上げる。
「十九」
 そこで大尉が止まる。
「……能見、十九の次はいくつだった」
 来た。来ると思っていたけど来た。
「はい、十九の次は十八であります。ペットにしてください」
「そうか、なら次十八、さっさと顎を鉄棒の上にまで突き上げろ」
 そして永遠に二十に到達できないカウントが続く。悲惨である。結局、全員
が鉄棒から落ちるまでカウントされた。息も絶え絶えでへばっているところに
「さて、次は重武装障害走三セットいくぞ。コースは私の通ったあとをついて
来い。野上、計測しろ」
「はい、大尉」
 三十キロにもなる武装を身につけて基地内部を走るのだ。途中にある池も、
崖も、三十メートルの鉄塔も、大尉が踏破すれば全部まっすぐ踏破する。途中
に計算問題まで立ちはだかっているのが謎だ。見山一曹がボールペンを握力で
握りつぶし、直後大尉に腹筋五十回を言い渡される。正直基礎体というよりは
何かの罰ゲームだ。かろうじてついていくことにできる上末曹長が後ろで隊を
追いたてる。
「よう、野上さん。調子はどうだ」
 午後三時過ぎ、鬼のような重武装障害走五周目が終わりかけた頃、それは現
れた。のんきなもんである。そっちを見ずに答える。
「大尉って面白い人ですね」
 ほんと、子供らしいものに目を輝かせたり、凄惨な戦闘を展開したり、男子
高校生みたいなノリを貫いたり。
「……そうか。千島さんを面白いと評価したのは野上さんが初めてだな」
 そうだろうか。確かに大尉は格好良くて冷徹だけれど可愛らしいじゃないか。
「では橘准尉は大尉のことをどのように」
「面白い奴だと思うぞ。案外可愛らしいところもあるしな」
 一緒じゃないか。
「と、野上さん。隊長殿が近づいてきたな」
 ほんとうだ。五周目が終わったのだろうか。走っていた足を止めてこちらに
向かってくる。
「あ、大尉、お疲れ様です」
「橘。何しに来たんだ。一緒に走りたいのか」
 やっぱりこの笑顔は橘准尉に話しかけるときだけだ。
「俺は動くのが苦手なんだ。よくそんなアホなことに真剣になれるよな。もっ
と有意義に時間を潰してるのかと思ってたぜ」
 橘准尉が思いっきり笑う。
「ああ、基礎体なんてアホらしいことをしているのは夜の親睦会の酒が旨くな
るからだ。おい、お前ら、突っ立つ暇があれば腕立てでもしろ」
「はい、ペットにしてください」
 いっせいに大声を上げ、死にそうな顔をしているのに両腕を地面に立てる。
ここまでさせておいてアホらしいといわれる彼らも大抵哀れである。が。
「……おい、千島さん。今、ペットにしてくれとか言わなかったか」
 言った。
「……ああ、あいつらは今家畜だからな。もう一度聞かせてやろう。お前ら、
返事」
「「「はい、ペットにしてください」」」
 アホか。
「……アホ、だな。俺もペットにしてくれ、千島さん」
「無能なペットを持つほど暇ではないんだ、橘。例えば、だ。家畜一号。随分
余裕そうな腕立てだな。ほら、重りをつけてやろう」
 片手腕立てをする上末曹長の方に歩み寄り、その背中に足を乗せて体重をか
ける。
 外道である。
「う、重」
 さすがの上末曹長ですら、うめいた。
「ん、仮にも女性に向かって重いとぬかすか、家畜」
「申し訳ありません。ペットにしてください。あと三セットお願いします」
「そうか。もう三セットか。なら懸垂から障害走まで全部三セットしろ」
 恐るべし三セット。



←第八話へ
第十話へ→
「秋、果ての岬」タイトルへ