秋、果ての岬 -Alone-

第八話

 訓練施設、一階北端の一室。閑散としていて身を隠す場所さえない。扉前に
陣取った大尉に肩を並べる。それだけで心が落ち着く。
 静かだ。
「大尉。ほんとうに大丈夫なんでしょうか」
 あそこまでけんかを売っておいて、まさか一瞬で負けるなんてことはないだ
ろうけれど、訓練とはいえ危険も伴う。
「絶対に大丈夫だ。心配は要らない」
 ものすごく優しい顔で微笑む。今から戦闘訓練が行われるなんて思えない。
「でも、中隊の隊員は立派な戦歴の」
「……実際の戦闘ならば、勝ち目はないだろうな。だが、この演習はいわゆる
当たり判定さえ分かっていれば絶対に負けない。戦闘としての勝ち目は薄いが、
演習としての勝ち目は十分にある。それに、あいつらは甘い。絶対に野上を狙
いはしないだろうし、私に本気を出さない。種も仕掛けもあるマジックという
ところだな。さて」
 なるほど。けんかはやる前から勝敗が決まっているということか。
 合図だ。
「……行くか」
「はい」
 直後、大尉がドアを蹴飛ばした。
 挟み撃ちだった。
 やられた。そう思い、反射的に身体を下げる。
 同時に廊下に何かが倒れてきた。右にいたはずの隊員だ。手足を拘束されて
のたうちまわっている隊員が二人。
「え、嘘」
 いわゆる「被弾判定」だ。つまり、あの一瞬で私たちの右側に立っていた三
人のうち二人が戦闘服に拘束されたらしい。残る一人は腕を取られて大尉の全
面に突き出されている。
 盾にされているのだ。
 こうなってしまうと左側にいた兵士には何も出来ない。このまま大尉に向け
て銃弾を発射したところで盾になっている一人に被弾するだけだ。本物の銃弾
じゃないから貫通しない。
 それをいいことに大尉が肩越しに一気に撃つ。
「甘い。味方ごと蹴り飛ばせ」
 戦死判定で床に転がった五人に言い放ち、背中を向けて走る。その後ろを追
う。

 当たり判定さえ分かっていれば絶対に負けない。

 そんな大尉の言葉が甦る。そう、確かに銃口から出るのは赤外線だから「跳
弾」はするけれど身体を貫通することはない。腕力があるのなら人間を盾にす
るのは当然の対応と言える。
 そこから先は一方的だった。
 同じ戦法が取られる。隊員を盾にしてありえない数の銃弾の中を進み、一気
に銃身の間合いをつめる。
「ナイフは常に構えておくんだ、愚か者」
 その場に立つ三人の後頭部にナイフを叩きつける。本物だったらヘルメット
ごと首を弾き飛ばされていただろうが、ただの強化プラスチックなので部屋の
中に身体が舞う。あんなの死亡判定で拘束される前に失神だ。
「……たいしたものだ」
 そこから先は小銃を捨てた。
 ハンデのつもりだろうか。
 常軌を一逸した反射とスピード、豪腕だけが武器だった。扉を開けては一気
に間合いをつめてナイフを突き立て昏倒させる。または拳だけで大の大人を廊
下の端にまで吹き飛ばす。
 三分が経過した。残っている敵は上末、井坂両曹長のみだ。
「野上、ここで待っておけ。動くな」
 大尉が私の耳元でそうささやき、二階に続く階段を上がる。その姿が踊り場
に消え、倒された隊員たちのうめき声
 背中に冷たいものを感じた。直後、口を押さえられる。
「……野上さん、井坂です。野上さんには」
「甘い、井坂」
 結局、井坂曹長は最後まで言うことすらできなかった。大尉の蹴りを受けて
一階の入り口付近まで吹き飛ばされた井坂曹長が見えた。一瞬で被弾判定が下
り、井坂曹長が拘束される。私をおとりにして井坂曹長をおびき寄せたわけだ。
 絶対に野上を狙いはしないだろうし、私に本気を出さない。
 大尉の言葉通りだった。井坂曹長は私を攻撃しなかった。もし、あの間合い
で井坂曹長が本気でやる気であったなら私は確実に死亡判定を食らっていただ
ろう。
「……野上、残りは一人だ。二階に向かうぞ」
「あ、はい」
 一秒遅れで大尉の背中を追う。悠然と歩く大尉が廊下の端にまで来て、扉を
開けて
「……違うか」
 笑う。最後だと思っていた私には拍子抜けだ。でも、大尉は全然残念そうで
もないし、戦う意欲すら見られない。
 いや、多分大尉は上末曹長の場所を知っている。その上で自分の言葉をわざ
と聞かせているのだ。何のために。
「ここも……違うな」
 恐怖を煽っているのだ。
 ドアは残り一つになった。
「ここだけだ。そろそろ観念してもらおうか」
 がちゃり。
 誰も見えなかった。
「……ほう、見事だ」
 余裕たっぷりで独り言をつぶやき、ドアを閉め
 ものすごい至近距離に上末曹長がいた。
 大尉に首を押さえつけられていたけれど。
「どうした上末。かくれんぼは終わりか」
 その首には練習用ではない、本物のナイフがあてがわれていた。本気で殺す
つもりだろか。
「……隊長、どうして」
 動きを封じられた上末曹長がそれでも左手だけで何とか自動小銃の引き金を
 大尉の足に弾かれ、部屋の隅にまで叩きつけられていた。その上に大尉の踵
がのしかかる。このまま力を入れれば上末曹長は首の骨を折られて死ぬ。
「上末。たった一人生き残った感想はどうだ」
「な、どういう」
 その気になればすぐに出せる死亡判定なのに、大尉は言葉で攻め立てる。
「西方227シナリオ。お前の傲慢さが招いた失敗だ。部下の班員が一人ひと
り殺され、お前一人生き残ったらしいじゃないか。お前の取った策は上官と投
降すると見せかけ、上官のわき腹を貫通させて発砲し、敵から逃亡した……そ
うだな」
 身体が震えた。
「……俺は、全力を尽くして、それでも当時の上官の命令が」
「ああ、あれはお前の上官がアホだったのも理由のひつとだが、上末の自信も
敗因の要素だ。わかっているか」
「……わかっています。隊長」
 どんな地獄があったのだろう。あの鬼の上末曹長が天井に向けた目を閉じ、
唇をかむ。
「ならこの場で自殺しろ」
 大尉が上末曹長の喉から踵を外し、背中を向けた。
 そして上末曹長は言葉通り、自動小銃で胸を撃った。
 カウント、残りゼロ。五分が経過していた。
「さて、野上。戦闘終了だ。とりあえずこいつらを回収するか」
「……はい。拘束を解きます」
 言われるより早く身体が動いていた。あまりのことに混乱していた。
 戦闘終了。
 どんな言葉よりも勇気付けられるその宣言に、限りなく胸が騒いだ。

 重苦しい沈黙に真夏を思わせる太陽が照りつける。
 全員再集合。
「どうだ、可能だろう」
 大尉の第一声はそれだった。
 たった一人の女性武官に倒された屈辱にうなだれ、うなだれ、打撲の痕を時
々押さえながら何とか整列するその姿はまさに敗残兵である。事実、たった今
「全滅」した部隊なのだ。それでもまだ、立っている隊員は運がいいとすらい
える。訓練ナイフや大尉の打撃を身体に受けた隊員は未だに立ち上がることす
らできず、仰向けに転がされている。一般人ならほんとうに死んでいても不思
議ではない。
「一応褒めておいてやろう。私に小銃を捨てさせたのはさすがだ」
 なるほど。大尉が小銃を捨てたのは別に手を抜くためではなく、単純に近接
戦闘が得意だったから。
「さて、特に何もなければ早速おしおきタイムといきたいわけだが」
 悪笑という言葉がぴったり来るような笑顔で上末曹長が捕らえられる。
 上末曹長に何があったのか、知らない。でも、大尉は精神的なとどめを刺し
た。本物の恐ろしさを感じた。人間性も良心の欠片すらも感じられない攻めだっ
た。あれは、人間の戦い方ではなかった。まるで戦死者を選ぶためだけに舞い
降りるという戦乙女のごとく。
「上末、前へ出ろ」
 それでも一切の不満を顔に出さず、上末曹長が前に出る。
「覚悟はできているか」
「はい」
 堅く、食いしばる。
「なぜ呼ばれたかわかっているか」
 完全に肩を落とした上末曹長がなんとか口を開く。
「上官への口答え、です」
「違うな。この馬鹿者」
 体力と気合いでは絶対に引けをとらなかった上末曹長がたった一発で殴り飛
ばされていた。対する大尉は微動だにしない。
 それは縮めることのできぬ力の差だった。
「この愚か者が。お前ほどの人間が不可能であると決めつけにかかったことだ。
いいかお前ら、痛ければ座っていい。代わりに耳に焼きつけろ」
 言い放った。
「お前たちは命令を遂行するためにそこにいる。命令は仁義にもとろうとも、
鬼畜と呼ばれようとも絶対に遂行しろ。お前らの命は私のものだ。だから私は
お前たちを絶対に死なせはしない」
 力強い宣言だった。一切の飾りすらない、剛剣の強さだった。
 命令を遂行するのが私たちの任務なのだから、私たちはその全てを捧げなけ
ればならない。
 命令に責任を取るのが大尉の任務なのだから、大尉はその全てで私たちを守っ
てくれる。
 世界一単純な関係だ。
 その当たり前が、ただひたすらに尊い。
 この場所には任務を遂行できる私たちがいる。そしてこの場所には私たちを
死なせはしない大尉がいる。
「1300まで休憩。怪我のひどい奴は休んでいろ。午後より今後の基本計画を審
議する。第三作戦室に来い。では解散」
 形にはならなかったけれど、力の限りで全員が敬礼する。
「野上、こいつらと食事を取って来い。私は準備に戻る」
 それだけを言うと背中を向けて大尉が過ぎ去った。
 残された私たちはただ、
「……あの、とりあえず昼食にしましょうか」
 昼食にこれほど感謝したことはなかった。


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