秋、果ての岬 -Alone-

第七話

 秋だよね。
 背中に流れる汗に恨み言を言ってみる。
 だっておかしいのだ。こんな北の果ての岬、濃霧の日だってあったっていい
はずなのに、記憶を辿れば一ヶ月は晴天続き。それでも、ついこの間までだっ
たら建物内勤務ばっかりだったから許す。パンを落とすとバターを塗った側が
床とキスするように、私が室外勤務する時には無駄に暑い。
 戦闘服に着替えてかれこれ十五分。運動部側気味の私にはたったそれだけの
時間立つだけでも眩暈すら覚えてしまう。こんな奴が軍人なのだから平和なも
んである。
 ここは屋外第三演習場。市街地での不規則戦闘を想定した演習場だ。百メー
トルほど北東に数棟の訓練施設が立ち並び、一見すると普通の兵舎の如し。緑
の芝生には私が立ち、そして十八名の下士官たちの影が不動に立つ。
 本日初召集された新設部隊、指揮官を除く調査中隊の面々である。名実共に
最高クラスの戦闘員だ。その全員が微動だにせず、一言も発せず、この暑い大
気の下に立ち尽くす。同じ場所にどうして私なんかが立っているのか疑問にす
ら思う。その統率の取れた姿は模範ビデオより正確だ。
 突然十八名の右手が動いた。慌てて私も右手をこめかみに跳ね上げる。完璧
な敬礼がすばやく決まった。
 大尉だ。
 時計はちょうど九時。一分の遅れも、早まりもない。緑色の一般戦闘服に身
を包み、優雅とすら思える足取りでこちらに歩いてくる。
 十八名が全員、その無表情を一瞬崩して大尉を眺めていた。
 まさに一目惚れである。
「お初にお目にかかる」
 凛とした声が響いた。瞬間、十八名が元の無表情を取り繕う。
「調査中隊、隊長を務める千島桔梗だ。以後、諸君らの指揮官として隊員の安
全、隊規の保持、中隊の栄誉に全力を尽くそう。早速実力を測りたいところで
はあるが、その前に私の経歴その他、知りたいことがあれば質問を許可する」
 ここで初めて笑いが漏れた。示し合わせたかのような笑いである。女性とし
ては非常に身長の高い部類に入る大尉ではあるが、この中隊では普通かそれ未
満だ。けんかなんてものはやる前から勝負がついているようなもので、まず体
格で劣ってしまえばほぼ間違いなく負けだ。その上女性というだけでもつらい。
もっと言えば若くてエリートコースなんて最初から舐めてかかられるに決まっ
ている。
 が、私は大尉の勝利を直感した。
「大尉、質問があります」
 真ん中でひときわ大きな隊員が手を上げた。
「ん、なんだ」
「今日の下着の色は何でありますか」
 狙いに狙ったかのような笑いが起こる。向こうだって一応ネタを合わせてい
るのだろう。私にだって少しは心当たりがある。この程度のいじわる、下士官
の愛のようなものだ。
 でも。
 昨日大尉から聞いた経歴を知っている私には彼らのために十字を切る以上の
ことはできない。降下小隊、その所属だった賞賛されない英雄に心酔している
からかもしれない。でも、大尉は格好いい人だから。
「下着は白と決めている。常に清潔を心がけなければならないからな。次、何
かあるか」
 定石、といったところだろうか。からかいには素っ気無く事実を告げるとい
う大尉の戦略に隙など見当たらない。いや、案外何も考えず事実を告げただけ
かもしれないが。
「大尉、質問があります」
「なんだ」
 何度やったって一緒だ、そう思って今度はそっぽを向く。
「お子さんの予定はありますか」
 笑いがひどくなった。
 大尉は平然としていた。
 私は唇をかんだ。そのからかいだけはやめさせたかった。大尉のお腹の傷を、
その意味を、その抗いと運命の狭間での決断を知っている私にはその過酷な質
問に怒るだけの権利があると思う。でも、大尉は怒らないだろうし、泣かない
だろう。それが上官の務めだから。ならば私が大尉の代わりに
「今のところ予定はない。ところでお前たちにはお子さんの予定でもあるのか」
 さっきと同じ、声だった。中隊の笑い声が消え、全員が大尉の目を見る。
「意地悪な質問を返して悪かった。全員分の経歴も、通常の生活を享受できて
いないことも知っていたんだ。申し訳ない」
 沈黙が降りた。
「隊長、あの」
 質問をした隊員が何かを言おうとした。
「だが、少なくとも人を好きなっておけ。それくらいはできるだろう。手っ取
り早く野上を好きになっておくのも一つの手だ。どんな苦しさにぶつかろうと
もその気持だけで生きていける。違うか」
 どこの純愛なんだ、と思う。どうして私が突然候補に挙がるんだ、とも言い
たい。でも、大尉の目はさっきと同じように全員を見渡していた。
 それは切り返しでも、質問への返答技術でもなんでもなかった。
「では演習に移ろう。今回の演習でお前たちの機転と機動力をためさせてもら
おう」
 感動も何もそっちのけ、早速演習の指示が飛んだ。さっきまでの優しい視線
が消え、心の底から楽しそうな顔が浮かんでいた。
 さて、演習を要約する。
 まず、大尉と私は参加しない。十八名のうち、味方は二人で敵は十六名とい
う設定だ。味方の武装はナイフ一本と自動小銃一つ。弾は五発しか残っていな
い。対する敵は完全武装。この状況で建物一階の奥の部屋から外へと脱出でき
れば味方の勝ち。ただし。
 味方の一人は負傷しているという条件で。絶望的な状況だった。戦闘服が急
所に銃撃判定を受けたとき、または急所に一定以上の圧力を感知した時点で戦
線離脱。戦線離脱後は即物理的に戦闘服に身体を拘束されるため、「ずる」は
できない。
「理解できたか。できたなら演習用武器とプロテクターを持って持ち場につけ」
 全員が呆然としながら演習武器その他を受け取り、通信機器を取り付ける。
その無表情の中に半ば呆れたかのような視線とため息が混じっているのを見逃
さない。
 そりゃ、そうだろう。
 そんな絶望的な作戦、奇跡でも起こらない限り達成不可能だ。圧倒的不利の
条件から帰還を果たせ、という意味は分かる。だが負傷兵士を背負い、十倍以
上の兵力に取り囲まれて帰還するなんて不可能に決まっている。この状況なら
通常負傷した兵士を放置して全力で逃げるべきだ。それしかない。もし、助け
ながら退却しながら敵を攻略しろなんて命令を上官が出したとしても絶対に無
視されるに決まっている。私なら通信不具合を理由に無視する。
 「では最初の組は……上末か。一階奥に入れ。他のものは三十秒で思い思い
の配置につけ。一分後、私からの合図で演習を開始する」
「あ、あの、大尉。私は」
 全員がこっちを向く。この年になってちびりそうだ。
「あ、野上葵と申します。通信を担当しています。あ、あはは、ごめんなさい」
「……野上、お前は索敵と通信担当だから今回は別にいい。お前ら。野上の紹
介はまたやってやるからさっさと散れ」
 森の中で熊さんに出会った気分である。大尉が大男十八名相手に平然と命令
する事実に感動すら覚える。
「で、私は何をしましょうか」
「全員分の通信接続と全滅に要する時間の計測だ」
 なんだ。最初から全滅シナリオをさせよう、って魂胆か。納得。
「了解です。あ、大尉。今通信がつながりました」
 大尉が黙って私の手から通信機器を取る。
「……千島だ。味方側、準備はよいか」
『……上末、準備完了』
 感度良好。自分の仕事に誇りを持てる瞬間だ。
「敵側、準備はよいか」
『井坂以下、準備完了です』
「では演習開始」
 始まった。次々と入る通信と行動記録をまとめる。
 最初の組は三分三十秒で全滅。扉を開けた瞬間に外で待ち受けていた三人を
切りつけるも、二階窓からの狙撃にやられたらしい。律儀に味方の負傷兵を背
負っていたのが仇になったようだ。
 次の組は二分。といっても篭城戦だ。部屋の隅で待ち、突入する相手を撃つ
も、あえなく全滅。
 その次の組は最初から負傷兵を捨てて行動。負傷兵をおとりにして部屋から
脱出し、物陰から狙撃するも、背後からの敵に気づかず死亡判定。
 その他もだいたい同じだった。唯一惜しかったのが救難救助隊出身の井坂曹
長。五分を持たせて、全滅した。

 二分十五秒。
 それが今回の成果である。もちろん、全滅に要した時間だ。戦闘方法は多岐
にわたっていた。最初から負傷兵を見捨てて戦った隊員もいたし、逃げ回るだ
けに全てを尽くした隊員もいた。
 が。だめだった。
 当然だ。これは全滅シナリオなのだ。多分、五分を持たせた井坂大尉が一番
優れているに違いない。絶対に大尉だって褒めるに決まっている、そう思った。
 何度も訓練用戦闘服に拘束され、疲弊している中隊を立たせ、大尉が全員を
眺める。
「お前たち、こんな任務もこなせずによくも生き延びたな」
 聞き間違ったかと思った。もし大尉がいう言葉があるのなら、それは労いで
あって、不満ではないと、そう思う。中隊の十八名全員の目がほんとうに点に
なる。
「全く駄目だ。お前ら、明日一日は何を言われても『ペットにしてください』
と返事しろ。笑うときも『ペットにしてください』、泣くときも『ペットにし
てください』、聞き返すときも『ペットにしてください?』だ。理由は面白い
からだ」
 こういう理不尽な命令をかます上官は確かに、存在する。
 だが、それは新兵訓練のときである。今、大尉の前に立っているのは実戦の
最高峰だ。ありえない屈辱に違いない。
「……悪いですが隊長。隊長は戦場に出た経験はありますか」
 さっきの質問とは違う、ほんものの声が沸いた。
「上末。続きを言ってみろ」
 大尉が応じる。
「あんな命令、絶対に無視されます。それとも俺たちが転げまわるのを見て楽
しんでいるんですか。いずれにせよ無理な全滅シナリオだ。できないことを責
めるのは間違っている。もし、先ほどの命令が遂行可能だと考えているのなら、
隊長には戦場が分かっているとは思えないです」
 その言葉に大尉が不敵に笑う。
「ほう、無理か。では無理でないことを証明すれば明日から一週間、お前の返
事は『後三セットお願いします』だ。野上二曹。言わなかったら上末を裸にひ
ん剥いていいぞ」
「え、遠慮します」
 なんでそう微妙なところで振るんだ。
「では、これより私が野上を引き連れて同じ演習をしてやろう」
 大尉が演習に参加するなんてありえない。聞き間違えたかと思った。
「ですが大尉。練習用とはいえプラスチックナイフでも振り下ろせば骨折の危
険があります。おやめください。よろしければ私がサポート役になります。大
尉のお仕事は指示を出すことではないですか。これから指示の方法を学べば」
 井坂曹長がやさしく言う。それは馬鹿にしたものではなく、本気で心配した
ものだった。
「井坂。お前と共にできるのは魅力的ではあるが今回は断っておこう。無論、
手加減はしてやる。心配は要らない。大丈夫、私はお前たちに怪我をさせる気
はない」
 絶妙な返しに失笑が漏れる。
「しかし隊長」
 それでも食い下がる井坂曹長の視線は本気で大尉を心配してのものだった。
「本気でかかってこい。ああ、私が負けたら語尾に『ご主人様』とつけてやろ
う。野上もするんだ」
 待て。私は何も了承していない。が、それを決意と受け取ったらしい。
「……了解しました。井坂以下、行動を開始します」
「くそっ、上末班、続け」
 冷静な声と怒りに震えた声が交錯する。そのどちらもが自らの誇りに溢れて
いた。
「では我々も移動するか。野上、来い」
 自分が負傷しないこと、できれば危ない語尾にならないことだけを祈った


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