秋、果ての岬 -Alone-

第五話

「野上。今更返せなどと言われても手放すつもりはないぞ」
……
「はい?」
「よし、早速名前をつけよう……そうだな、グレイト千島なんてどうだ」
 待て。これは突っ込めという暗黙の勧誘なのか。
「あの、大尉。せめてもう少しかわいい名前を」
「いちいち細かい奴だな。ではキューティー千島か。それともステファニー千
島か、いや」
「とりあえず千島は禁止です。それからラブリー大尉とかプリティー中隊長と
か階級系も禁止します。大尉には可愛らしさが分かっていません」
 一呼吸、
「……そこまで言うなら野上は今日から葵ちゃんと呼んでやろう。朝起きても
葵ちゃん、一緒に歯を磨きながら葵ちゃん、背後霊と成り果てても葵ちゃんだ。
お前の人生を私色に染めて染めて染め抜いてやる。な、グレイト千島」
「なんでそんな方向に話が進むんですかっ」
 しまった。つい身体が突っ込みを入れていた。
「ふっ、冗談はさておき感謝はしている、野上」
 どのあたりから冗談だったのかはわからないが、依然ぬいぐるみを大事そう
に抱えているあたり、真意を汲み取れない。
「……感謝とは、大尉」
「ああ、ぬいぐるみだ。大切に使わせてもらおう、だが」
 それはまるでそれは子供に母親が諭すような優しい視線と言葉で
「机の上にあったのでは仕事ができない。昼から橘にでも片付けさせよう」
 それだけを言うと私に背を向けて、ロッカーを開けて着替える。目の前で礼
装のボタンを外し、大尉が下着姿になる。引き締まった身体に女性とは思えな
いほど力強い筋肉が動いているのが違和感演出しまくりだ。腕を上げるたびに
上腕三頭筋と広背筋が力瘤を作る様はパーツを間違った着せ替え人形のごとし。
腹筋だって縦に割れて、
 あ、お腹に手術の痕発見。
 この格好いい大尉が盲腸とかやっているのだろうか。少し笑える。ま、それ
はともかく、綺麗な肌と巨大な胸も気になるわけだが。
「……どうかしたのか、野上」
「あ、手術されたんだなあ、って」
 まさか胸が大きいなんていうわけにもいかず、さしあたっての話題で切り抜
ける。
「手術は、ずっと昔の話だ」
 大尉の手が少し止まり、小さな呟きが聞こえる。
「そう、なんですか」
 決して怒りでもなければ不快でもない、ただ悲しい空気が流れたことに後悔
する。
「……野上、ところで平服はスカートだけか」
「スカートだけ、とは?」
 質問の意味すら分からなかった。
「平服といえば他にズボンの類があったような気がするのは気のせいか」
 まさか。入ったばかりの新兵でもそんな馬鹿な質問はしない。
「……大尉。通常用務でしたらスカート以外の制服はないです。作業服とか戦
闘服はともかく、これから基地内視察ですし」
 ぬいぐるみはともかく、服務規程なんて本能の次だ。まあ、橘准尉はともか
くとして。
「そう、だったな。長らく一般軍務を離れていたんだ。少し思い出さねばなら
ないことも多い」
 ということは大尉は民間に出向していたのだろうか。ならば、民間に出向し
ながら実働の最高の栄誉を受けたのだろうか。
「大尉は、どのようなお仕事を」
 興味が湧いた。
「降下小隊という名を知っているか、野上」
「え、あ、あの」
 背中が凍りついた。椅子に腰を降ろした大尉の顔を見つめる。
「ま、降下小隊なんて名前は誰かが勝手に名づけただけなんだが、中央司令室
隷下の小隊があったんだ。小隊の癖に司令室の直属なんてどうかしているとは
思うが、それが私の所属だったところだ」
「そんな、ほんとうに」
 あったんですか。そう続けた。その言葉に大尉の首が小さく振れる。
 降下小隊。空恐ろしい噂と不気味な戦歴を口伝えに聞いた日を思い出し、身
体が震える。最前線で耳にしたのだ。どこに所属しているのか、どんな装備を
持っているのか、何もわからないのに妙な現実味を帯びていた。
「そう緊張するな。いろいろと悪い噂もあるが実績は悪くない」
 戦争末期、誤報のようなとんでもない戦況が伝えられることがあった。例え
ば敵国の航空母艦が大規模火災の上に沈没した事故、敵国捕虜収容所に拘束さ
れていた味方が脱走した事件、戦争終結の事実上の引き金となった敵国でのク
ーデター。戦況を激変させる事件の裏には必ず彼らがいた、と噂される。
 ありえない。
 小隊といえば大きくたって二十人くらいだ。そんな規模で例えば空母に乗る
二千人を越える敵兵士を欺き、あまつさえ沈めるなんてマンガの世界でもあり
えない。捕虜収容所なんて無謀もいいところだ。どれほどの精鋭部隊であって
も相手の数には勝てないものだと相場が決まっている。もし万一、空母を沈め
たければ相手の対空能力を超える戦力を持ち出して力ずくで叩き潰すのが王道
だろうし、捕虜収容所の守備隊を撃破するのなら内部から脱走計画を誘導した
上で旅団一つをぶつけるべきだろう。戦争なんて物と人を持ってる奴の勝ちな
のだ。どんな超兵器も超人も小銃百挺の前には歯も立たない。
 それでも百歩譲って降下小隊がそれらの作戦をやりとげたとしよう。ならば
彼らは歴史上誰も成し遂げられなかった軍縮に大幅に役立つ人間たちであり、
最も輝かしい部隊であるはずだ。
 が、誰一人として噂以上の話を知らない。当然公式アナウンスだってない。
 ある人は言う。降下部隊なんてなかった。泥沼化した戦局で幻想にすがりた
かっただけだ、と。形成一発逆転の超兵器の噂なんてよく流れるのも事実だか
ら私もこの意見には半分賛成する。だが、同時に彼らの存在を否定もできない。
特にこの基地で情報管理に携わるようになってからその確信を強めた。
 民間警備会社のヘリや信号を発そうとしない民間飛行機会社の発着記録が何
度も五級以上の秘密で私に流れてきた。あれこそが降下小隊の姿だったのだと
思う。彼らは表面上民間会社に所属し、民間会社のヘリで行動し、軍隊では行
くのもはばかられる危険地帯へと送り込まれた。
 決して表に出ることなく、賞賛されることもなく。
「あの、大尉はこれからどのような任務を」
 いや、だとすれば、私は降下小隊なんて部隊の存在を否定したい。
 だって、子供みたいにぬいぐるみを両手に持って顔を赤くする人が、そんな
影の仕事に徹してきたなんて救いようがないじゃないか。もし、それでも大尉
が戦闘を望むというのなら、私は
「私はこの果ての岬より地質と植物を調査していきたい。掃討戦も結構だが、
余った時間は植物の調査に使わせてもらう。私のずっとやりたかったことだ」
 思いが通じた、そう思った。何かを見据えた大尉が鞄の中に手を突っ込み、
机の上に本と時計を並べる。その時計がずっと昔に動くのをやめたものだとい
うのは遠くからでもすぐに分かった。失った戦友の形見なのだろう。
「それが、千島大尉の」
「ふっ、食事にするか、野上」
 感傷に浸りかけた私を強引に呼び戻してくれる、その優しさに感謝した。
「はい、さっきも言いましたけど、この基地の食堂はとても人気なんです」
 執務室のことはいつだって考えられる。だから今は二人で廊下を歩いて、楽
しく食事をしよう、そう思う。
「そうか、私だって料理は得意なんだ。なんたって高校入学以来自炊の毎日だ
からな」
 大尉の高校時代なんて想像もできない。
「そんな毎日作っていたのって、もしかして好きな人でもいたんですか」
 だから思いっきりベタな質問をしてみる。
「ああ、橘は絶賛してくれた。別に恋仲ではなかったが」
 そりゃそうだろう。完璧な大尉と、あのいい加減な橘准尉だ。共通点は身長
の高さと格好いいところ以外に見当たらない。でも、好きな人という言葉で橘
准尉の名前が出るのだから昔から仲がよかったのだろう。
「今度、私も食べてみたいです。大尉の食事」
「そうか。楽しみにしておけ。ところで腰に持っているのは拳銃のようだが、
そんな強いものを撃てるのか」
「どうして」
 隠すつもりはなかった。それでもその瞬間に楽しい空気を一気に吹っ飛ばし
た大尉の視線に緊張が走る。
「歩き方、服の癖、注意深く観察すれば誰にだってできる芸当だ」
 ……なるほど。足跡から所持品を読み取る専門職があるが、大尉の観察力は
並外れている。
「はい、拳銃は先日任命と同時に渡されました。でも、撃てるほどの力はあり
ません。役に立たないですよね、こんなの」
 何が保安のため、だ。降下小隊の隊員の保安なんて全く不必要もいいところ
だ。
「もう少し軽いものから段階的に練習するといい。私が教えてやろう」
「あ、ありがとうございます。でも私、通信と索敵以外からっきしで」
 とりあえず笑う。笑ってごまかすしかない。
「いや、誇っていい。野上の索敵能力は最高だ」
「え、そんな大したことはありません」
 目立った活躍も何もなかった私だ。
「一回の戦闘で索敵通信兵が負傷する確率は半分、死亡する確率は五分だ。そ
して野上の戦闘回数は十回、無傷で前線を引退できる確率は一万分の一。単な
る偶然ではあるまい」
 確かに索敵通信兵は狙われやすい。でも私が大丈夫だったのは
「私はただ、みんなに守られていただけです」
 逃げるのが上手かった。運が良かった。身を挺して守ってくれる戦友がいた。
だから生き残った。
「だとしても普通の人間にはできないことだ。実は野上のことは、私が直接頼
んで入れてもらったんだ」
「それは」
 食堂前。大尉がそっとつぶやく。
「索敵に名を馳せた野上葵を欲しかったんだ。戦争が終わったのに実働で働い
てもらう心苦しさはあった。だが、もう少しだけ付き合え」
 十二時のトランペットが響いた。大尉の顔を捉える。
「野上葵は私が守る。この仕事が終わったら十分に休め」
「はい、全力を尽くします」
 それが、契約の言葉だった。
 私は大尉に守られる。私は大尉の元にその意志を貫く道具になる。心の底か
ら思う。
この人についていこう、と。


 昼食が済むと大尉から別行動を言い渡された。大尉は大尉で挨拶もあれば視
察もあればその他雑務もあるのだろう。というわけで調査中隊が入ることになっ
ている部屋を整える。明日には全員がここに揃うはずだ。全員分の通信回路と
電源、機器の揃いを確認し、ロッカーに番号を割り振り、
「よう、野上」
 脱力感を誘う声を仕草では無視しながら
「どうやって大尉の執務室に入ったんですか、橘准尉」
 聞いてやる。そうでもしないと空軍一のヒマ人に余計なことをされてしまい
そうだ。
「いや、だから何もやってないって。ほんと」
「ったく、嘘ばっかり」
 あれほどの認証を解除するのだ。もしかすると橘准尉はものすごい切れ者か
もしれない。いやいや、騙されるな。こいつはただの暇人。
「……最強の生徒、千島さん。それが千島さんの高校の頃の呼び名だ。誰にだっ
て容赦なかったけど、特に先生には厳しくてさ。でも本人には自覚ないんだよ
な。植物園と農園の管理が自分の仕事だと決め込んでた。俺みたいな落ちこぼ
れには優しくて、まさに神様みたいな人だった、ほんと」
 誰に語りかけるともない静かな言葉だった。あまりに断片的すぎて何も分か
らないけれど、大尉の一点の曇りもない誠実さと意志の強さが昔からのものだ
ということはわかった。
「なあ、野上。強化プログラムって名前、聞いたことあるか」
「え、どうしてそれを」
 調査中隊の私を含めた全員が受検している肉体・感覚・精神の強化プログラ
ムだ。当事者ならともかく、降下小隊の噂と同程度に嘘くさい噂だと一蹴され
ても仕方のないはずなのに、よりによって橘大尉がその言葉を持ち出すとは。
「そりゃ俺が開発元の北東技工の末席だからだ」
 敢えて返事はしないことにした。橘という苗字で北東技工も末席で強化プロ
グラムを知っていて、生体認証システムを解除したなんてできすぎている。
「プログラム唯一の成功例は千島さんだ。千島さんは世界で一番優秀な兵器だ」
 今度は返事をするだけの余裕がなかった。私の希望が、大尉には普通の人で
あって欲しいという願いが簡単に潰えた。
「でも千島さんは優しくて、ちょっと世間知らずで、静かな生活が似合う人だ
と俺は思っている。肝心なところで引っ込み思案で、ここ一番でドジで、面倒
見の良い奴だ。そうなるはずだったんだ、千島桔梗ってのは」
 やっぱり返事はできなかった。橘准尉の言葉の中に強い意志があったから。
「千島さんの着替えを見たか。あの人のお腹の傷は、卵巣摘出の手術痕だ」
「え」
「高校のとき、軍務に差し支えるという理由で切った。ま、俺は触ったことも
あるんだがあまり言いふらすと殴られそうだしオフレコな」
「……そんなところでボケないでください、准尉」
 病気だったら分かる。でも、軍務なんて理由でわざわざ身体に負担をかける
なんてありえない。例えば盲腸の原因になる虫垂を「邪魔だ」とか「仕事に差
し支えるかもしれない」なんて理由で切除する人がいるだろうか。
「それでも千島さんは最後まで自分の運命には抗った。敵わなかったけどな」
 その先を言葉にしていいのかどうか、正直なところはわからない。でも
「この国で、一体何があったんでしょうか。大尉は」
 それはもしかすると持ってはいけない疑問。
「……俺はそれを知りたくてここにいる。野上、力を貸してくれ」
「え」
 普段は見せない強さの宿った視線が私を向いていた。さっき見た大尉の視線
によく似ていた。
「野上の通信能力が欲しい。野上の上司でもなんでもない俺からの命令だ。力
を貸せ」
 なんて自分勝手。
 そう突っ込もうと思って、やめた。
 だってものすごく格好いいじゃないか。そんなの、反則だ。
 悔しいけれど、
「はい、わかりました。橘准尉」
 そう、答えていた。私の力がこの巨大すぎる組織には太刀打ちできないこと
なんて知っている。それでも、ぬいぐるみを抱いて無邪気な笑顔を見せた大尉
を守ってあげたい、そう思った。


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