秋、果ての岬 -Alone-

第二話

 綱引きと一緒で力が入っているときほど脱力感もでかい。
 あまりの脱力っぷりに呼吸を忘れてしまったほどだ。
 解任、である。
 そう、軍隊とは公務員だ。理由なき解雇なぞありえない。ようやく小学生レ
ベルにまで思考力が復活する。
「野上、聞いてるか。本日よりここに出勤しなくていい、との人事通知が司令
官より発令された」
 無駄に人事とか発令とか難しい言葉を使っても中身は一緒。聞きたいのは
「なぜ、でしょう」
 別に私自身は解雇になってもすぐに困ることはないのだが、いくらなんでも
ありえない。理由を聞く権利くらい行使しておく。
「理由は俺だって知らされていないが、免職ではなく別命あるまで自室で待機
せよ、とのことだ。頼む、ちょっとした休暇だと思って自室へ戻ってくれ、野
上空士」
 その階級差を超えて頼み込む姿が面白いが、あまりにもあまりな現実に開い
た口が塞がらない。
「では、戻ります。南中尉」
 軍隊生活で身についた敬礼と言葉だけを返し、とりあえず自席に座り込む。
「……」
 さて、何から考えようか。隣でレトロなポケットゲームに興じる橘准尉がと
にかく鬱陶しい。
「野上、さっさと自室に戻れよ」
 なんか、ものすごく頭にきた。
「橘准尉こそ、職場に戻ってはどうですか」
 今、暇人に付き合えるほどの精神的余裕なんてない。
「ああ、戻る。野上がいないのに来ても仕方がないからな。でも、野上も早く
戻れよ。自室に戻れば多分次の職場の連絡が来るはずだ」
「……え」
 なんだそれ。
 まるで今の突然の人事も、これから起こることも全部わかっているかのよう
な言い草。
 このお気楽な人がいったい何を知っているというのだろう。
 いや、単なる悪ふざけだ。絶対そうだ。この人に限ってそんな超設定を持っ
ているわけがない。
「そんな見つめるなよ野上、惚れるなよ」
 ごちん。
「さて、戻ります。失礼します」
 身体が覚えている敬礼だけを返し、荷物も仕事も放り出し、機械のように足
だけが動く。なぜか拳が痛いような気もするがまあ、いいとしよう。悪を誅殺
した気分だ。
 長い廊下を歩き、居住エリアの下士官棟の自室にパスカードを差す。
 勤務場所も居住場所も一緒。周囲も高い柵で囲われているのだから軍隊って
のは体育会系引きこもりか自演刑務所みたいだ。
 さて、そんなことはともかく。
 何が起こったのだろう。
 ここ数ヶ月分の仕事を思い出す。何かミスをしたか、酒でも飲んで暴れたか、
二週間前サーバー上部にココアをこぼしたことがばれたか。警務隊へと出頭せ
よ、との命令ではない以上、即懲戒という話ではないだろうが穏やかな話でも
ない。
 頭をフル回転させ、自室で悶々と考え続け、九時四十分。
 部屋直通の電話が鳴った。
『自室に戻れば多分次の職場の連絡が来るはずだぜ』
 そんな言葉が甦る。
 まさか。
 一秒の三分の一の速度で手を伸ばし、出る。
「はい、情、下士官W2032室、野上です」
 情報管理室、といいかけてなんとか言い止まる。
「おはようございます。企画広報室の坂元と申します。野上一等空士ですね」
 最初から声紋チェックして認証しているくせに、わざわざ名前を尋ねてくる
のが憎い。
「はい、そうです」
 笑えることに戦争終結一年ちょっと、企画広報室などという部署ができた。
最初のうちは戦争でも企画するのかとからかわれていたのだが、下士官の人事
権を持つ事務兼総務兼会計だと分かった瞬間、誰もが噂すら避けるようになっ
た。人事と金の力の前には戦闘機も自動小銃も歴戦のパイロットも階級差も役
に立たない。軍規という非効率的かつ単純な法則が通じなくなった瞬間だった。
 で、その企画広報室が私に連絡しているのだが。
「今すぐ企画広報室へ向かって下さい。なお、出頭の際には上級礼装を着用し
てください」
「え」
「では、お待ちしております」
 返事をする暇すらなく、電話が切れた。
「はあ、何なのよいったい」
 受話器に独り言。ため息二回。話を自分なりにまとめてみる。
 今朝、突然仕事を干された。
 突然かかってきた電話で企画広報室への出頭を要請された。
 しかも礼装なんて英霊の帰還にでも立ち会うときくらいしか着用しない。
 どこから何を考えるべきか、それすら分からない。
 一瞬頭を働かせようとして、やめた。私ごときが考えたところで屁のツッパ
リにもならないのが軍隊という組織なのだ。とりあえず作業平服を脱いで久し
ぶりの礼装を取り出す。アクセサリも外しておいたほうが無難だろう。
 ……
「ん、まだまだぴったり」
 ウエストの成長を笑顔で確認し、備え付けの鏡で全身を見ておく。自分で言
うのも変だけど、礼服は格好良く見える。十五歳になったばかり、入隊式で敬
礼したときのことを思い出す。
 部屋を出て、気を引き締めて企画広報室に向かった。
 長い廊下を歩き、普段は通らない場所から訓練施設を眺め、何の変哲もない
廊下の突き当たり。
「野上さんですか」
 背広の男だった。橘准尉のようにいつもパジャマみたいな人は例外中の例外
として、軍服を着用しない軍人なんてほんとうに少ない。
「はい、野上です」
 企画広報室の人間が私より階級が低いことはありえないので敬礼する。
「ま、そう堅くならずに。ではご案内しますので」
 いやになるほどの笑顔を私に向け、歩き出した。その背中を追いかける。
「どちらに、行くのですか」
「向かう先は司令官室です。野上さんは司令官室には行ったこと、ありません
ね」
「はい、ありません」
 何気ない風を装って返事をしたが、実のところ膝が震えた。司令官室だ。式
典のときくらいしか顔を見ない。こうなると向かう先が絞首台であると言われ
ても一緒だ。
 背広の男がIDを差し込み、私が通ったことのない廊下に進入する。
 ……こんなところに通路があったのか。
 この基地に所属して二年と少し。一度たりとも基地司令官の顔なんて見なかっ
たのはそもそも歩く廊下からして違うから。改めてため息の一つくらいくれて
やりたくなる。
「どうしました」
 まさかあまりのアホらしさにため息をつきました、と答えるわけにもいかな
い。
「……緊張しまして」
 取り繕いだけは完璧に済ませる。いついかなるときにも不測の事態に備える
軍人の本領を惜しみなく発揮する。
「いやいや緊張なさらずに。司令官とはいえ、同じ人間ですから」
 同じ人間同士が殺しあう戦争をしてきてよく言うと思うが黙っておくことに
しておいた。わざわざ嫌われることもあるまい。荷物でも搬入するのかという
くらい巨大なエレベーターに乗る。扉が閉まると、昇っているのか降りている
のかですらわからない重力が静かな負荷を与える。
 ……降りた。
 目に飛び込んできたのはとんでもなく広い廊下。
「……こんなところが」
「はは、この広さには少し怖気ずくものがありますが、すぐに慣れますよ」
 そんなことを言いながら廊下のパネルをIDカードで殺し、何かを打ち込む。
「企画広報室長、中佐の坂元です。野上空士を案内にあがりました」
「……」
 とんでもない狸である。単なる室長なのに階級は中佐。現場指揮官としては
最高クラスだ。将来の将軍候補くらいかもしれない。
「一等空士、野上。入ります」
 とはいうものの。男が正面きって公衆浴場の女湯に侵入するほうがまだマシ
だとすら思える。最後の最後、右胸にそっと手をあてる。小さな頃からずっと
持っているお守りだ。少し心が落ち着いた。
 扉が開いた。
 明るい室内が視界に入る。天井が高く、ほんの少し埃っぽい気がした。基地
旗と各隊旗、数々のメダルその他が部屋の左手側に、右手側には国旗と各所属
の制服、そして戸棚には名誉除隊者のつづられた各部隊籍簿。
 そして真ん中。そこにはこの部屋の主であり、この施設の長でもある司令官
が立っていた。その隣には礼服に身を包んだ長身の格好いい士官
「え、橘」
 橘准尉である。何かのサプライズパーティーかと勘違いしかけた。いや、そ
の方が可能性としては十二分にありえるのだが
「し、失礼しました……」
 なんとか踏みとどまった。
 だって、基地司令官が立っているのだ。
 おかしい。この部屋の主は司令官であり、この基地にいる以上、彼が立って
礼を尽くすような人がいるはずもないの。でも現実に誰かが座り、司令官が立っ
ているわけで。
 失礼にならない程度に顔を窺う。
 頭の中のデータと照合……何かの式典で座っていた顔だ。
 確か、戦争の終結を宣言された後、視察でこの基地に来ていたような気がす
る。あれは確か四級機密で事前連絡が飛び交っていたから
 師団長だ。この世界では神様よりも偉い。この人が勝利して来いといえば大
隊長が絶対無理な作戦を組み、小隊長が死ねと命令し、曹長が自殺に近い計画
を遂行し、私たちが死ぬ。
「師団長、お久しぶりです」
「……坂元君か、久しいな。見ない間に中佐にまで」
「いえいえ、師団長こそ来年度には准将も焦点に入ったと聞きますが」
 薄ら寒い会話だ。緊張が一気に解ける。橘准尉のような変なのもどうかと思
うが、軍にはどうしてこうつまらない会話に勤しむことが命のギネス級のどう
でもいい上官が多いのか。
「で、こちらの」
「はい、野上一頭空士をお連れしました」
 中佐の言葉に師団長がこちらを向く。
「ほう、君が」
「はい、野上です」
 と、まあいろんな気持ちを押し殺して直立不動で返事。
「野上一等空士。本日十時をもって二曹へ階級を改める」
「はい?」
 最近夏だからちょっと陽気に浮かれているのだろうか。私がついに行き着く
ところまで行ってしまったのか、それとも空軍が末期症状なのか。
「昇格だ、おめでとう」
 一等空士から二曹。つまり、上級空士と三曹の階級をすっ飛ばし、三階級を
昇進。
 命を代償にしたってありない。
 一瞬自分が死んでいるのかどうかを確認しかける。いや、もしくは、だ。
 実は危ない実験に参加させられていたのか。寝ぼけて打ったメールが敵のサー
バーを破壊させたか、こぼしたココアが敵のレーダーを乱したのか。そんな超
展開をやってしまったか。
 考えるのは後だ。考えて答が出たためしなんて一度たりとも存在しない。
 だから大きく敬礼する。これだけは誰にも負けない自信がある。空軍の敬礼
は伸びやかで大好きなのだ。できることならばこの敬礼を尊敬できる上官に向
ける機会に恵まれんことを。
「はい。身分を二曹と改め、職務に邁進いたします」
 とりあえず最低限の体面だけは保ち、言葉をつなげる。
「ん、がんばりなさい」
 今更であるが、司令官に頑張れなんて言われても頑張る気になれない。この
世で一番無責任な頑張りなさい、だ。
 そもそも。何もかもが不自然すぎる。
 普通に考えて私の人事は司令室で行われるものではない。ある日小隊長に知
らされ、それを小隊長が読み上げ、内示となるはずだ。規定でそうなっている。
これまでの私の昇任なんて最前線のキャンプの中で読み上げられたものだった。
 みんなが祝ってくれた。とても嬉しかった。一番下っ端に変わりはなかった
けれど。
 半分くらいは死んだ。とても悲しかった。
 あまりの唐突、あまりの昇進。右へならえの軍隊ではありえない異例の事態。
ま、常に意味の分からない橘准尉がいるのも疑問だが、あれは誤差未満の扱い
でいい。
「……ああ、野上二曹、続きがあってね。本日より所属を情報管理室から新設
の調査中隊へと変更、職務を情報管理技師から調査中隊隊員へと変更する。ま
た待遇は准尉としての扱いだ」
 師団長が何気ない会話でもするかのように配属先を告げる、が。
「待遇が准尉とは、どういう」
 聞き返していた。
「制服変更、士官俸給の適用、士官用施設の使用、命令権の獲得などです、野
上さん。具体的なことは後ほど私が説明します」
 師団長に代わり、坂元中佐が私に解説する。が、聞きたい事はそういうこと
ではない。
 准尉といえば士官候補生。私のように下っ端の人間にとっては定年間近でな
ることのできる名誉職だ。突然そんな待遇なんて意味が分からない。
 とりあえず話をまとめよう。今日はまとめることの多い日だ。
 まず、調査中隊なる新設部隊ができた。
 その新設部隊に一介の弾除け未満の私が移転して、職務が変わる。
「人事発令は本日九時、正式書類はこちらにあるが、引き受けてくれるね、野
上二曹」
 引き受けるも何も、もう正式書類まで揃い、階級ですら既に二曹と呼ばれて
いるのだ。最初から引き受けないなんて選択肢は存在しない。まさに外堀を埋
めての攻撃だ。今更だがいやらしさもギネス級である。
「了承しました」
 敬礼と共に宣言する。
「では師団長、野上二曹を送りますので私も失礼させていただきます。橘さん
は、どうされますか」
「はい、こちらで別件がございますので後ほど。中佐」
 普段の適当さからは想像もできないほどの丁寧さと優雅さで敬礼を返す。悔
しいけれど、こうしていれば橘准尉は格好いい。
 それに軍人とは違う魅力を持っている。
 坂元中佐の後に続き、司令官室から吸いなれた空気の場所にまで戻る。
 ここまでは人に誇ることなんて何一つない凡庸な人生を歩んできたつもりだ。
 人生を振り返ってみる。
 野上葵。私は自分の名前ですら適当に名づけられた戦争孤児だ。孤児となる
までの記憶はない。気がつけば一人、いや二人だった。
 完璧な社会福祉と高度な教育を約束された施設で大勢の同じ境遇の人と暮ら
し、小学校のときから地域社会に溶け込めるようにアパートを与えられた。中
卒で空軍付属の教育隊に入隊し、通信と外国語の勉強だけを五年間させてもら
い、戦争末期の四年間最前線で索敵兼通信兵を勤め上げた。戦争終了二年前か
らこの基地で情報管理という名の雑用をこなし、今に至る。計十二年の軍隊生
活は以上でおしまい、である。腕を評価されるほど難しい仕事をしてきたわけ
でも、武功を立てたわけでもないがそれでも索敵と通信に関しては出来る自信
がある。通信兵時代は戦場で一番狙われやすい役どころだから必死に生き残る
戦術を立ててきた。情報管理だって目立たないけれど、とても大切な仕事だと
誇りに思っている。
 なのに空軍下士官一等空士改め空軍二曹、野上葵。笑っていいのか突っ込ん
でいいのか泣いた方がいいのかわからない。ただ、エレベーターの待ち時間が
長い。


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